2007.07
皆さんこんにちは。
7月3日に6月議会が閉会し、しばらく残務整理をしていたところ、7月16日に新潟で柏崎市を
中心とした中越沖地震が発生しました。
え?また?ニュースを聞いたときには少し信じられない気持ちでした。3年前に山古志村を壊
滅させた中越地震、そしてつい半年前には能登半島地震と、日本海側にばかり大きな地震が続
いています。中越地震の時にはボランティアで合計2週間以上現地で活動した経験から、地震
直後のケアが大事だとわかっていたので、早速現地に向かおうと段取りを始めました。
以前からずっと応援してくださっているある支援者の方が「簡易トイレを現地に持って行って
ください」とお申し出いただき、200個も寄付してくださいました。また、「4トンの飲料水を
現地に届けたい」とお申し出下さる方がいて、それを地元のトラック会社の社長が「よし、俺
が運んでやろう」と言ってくださって・・・あっという間に緊急に必要な物資の輸送部隊が出
来上がりました。
私は自家用車で急いで現地に向かい、柏崎市役所に行ったりボランティアセンターに行ったり
して下調べをしました。そして到着したトラックと共に、前日計画した独自ルートで配布を始
めました。
まず簡易トイレについては、行政側のアドバイスもあり、被災が大きかった地域の県営住宅に
持って行きました。ここは水道はまったく使えず、下水管も被害があったようで、水も何も要
らない簡易トイレ(30回分使える)は大変喜ばれました。
また水については、行政では一人2リットルとか、一人4リットルとか規制をして、被災者に平
等に行きわたるように調整していたようです。しかしたったそれだけの量では市民にとっては
まったく不十分ですし、そのうえ物資自体はどんどん届いているので倉庫には水の山がある…
という何とも残念な状態になっていました。中越地震のときも物資を出し渋って倉庫があふれ、
自衛隊の部隊を倉庫の設営と監視に当てると言うまったく無駄な状態を目の当たりにしていた
ので・・・やはり災害になるとこうなってしまうのか・・・と残念に思いました。
そこで被害の大きかった地域のお寺さんにお願いし、境内に水を保管していただいて、そこを
基地にして近隣の方々に水を配布しました。特に「高齢者夫婦が住んでいる木造住宅」が被害
が大きく、また高齢者にとっては水をもらいに行くのも大変なので、水を20リットル宅配する
と、手を合わせて感謝されました。
たった2日間しか休みが取れなかったのですが、朝から晩まで作業に追われ、自分なりにやりつ
くして新潟を後にしました。このとき数名の方に予定をキャンセルさせていただいたのですが、
快く送り出してくださったことにお礼を申し上げます。またそれ以上に、支援物資を提供して
くださった方、輸送のトラックを提供してくださった方には心から感謝申し上げます。
地震から1週間以上たった今では、おそらく被災者の心のケアの需要が高まっていることでしょ
う。自分の家を何も持たずに追われ、体育館で隣の人とついたてをはさんで暮らすと言うのは、
かなりのストレスになります。
中越地震の経験から、今頃ボランティアは壊れた家から貴重品や家財道具を取り出したり、日
常の物資の配布とあわせて被災者の話し相手になり、用事を承りながら心のケアをする、とい
う仕事をこなしているのではないかと思います。中越のときはこの段階に入ったところで雪が
降り始め、仮設住宅は作れないし、雪で圧懐する家が多数出ると言うことがおきていたので、
それに比べればずっとましですが。
いずれにしても、浜松を含む東海地方はいつ地震が来てもおかしくない地域です。またそうし
た場合、浜松は被災地域のど真ん中で、もっとも支援が遅れると予想される地域です。航空自
衛隊があっても、滑走路が破断すれば使えませんし、空路では80万人を満足させる物資を輸送
することは困難です。普段の備えと共に、他地域の被災の時には積極的に応援に行き、経験を
蓄積することが必要です。
一大事の時には議員は頼りにされます。しかしはじめてだと混乱し頼りにならない可能性もあ
りますが、経験を重ねていれば的確な指示を出すことができます。そういう意味も含めて、
しっかりと経験をつんで、いざと言うときに頼りになる議員を目指したいと思います。
また「百聞は一見にしかず」と言います。それ以上に、現地で汗を流した経験はただの視察と
は違うものを見ることができます。それを今後は政策に生かしてまいります。
地震対策は県民の命を守り、暮らしを守る、政治としての本業です。こうした課題には最優先
に取り組んでゆきますので、
ぜひご安心いただければと思います。
大岡敏孝の活動報告
