滋賀1区(自民党) 大岡敏孝(おおおか としたか)
2012.01.09 (月)

新年に思う

みなさま、明けましておめでとうございます、と申し上げたいところなのですが、・・・議員は挨拶状が一年中、どんな場合でも禁止されています。ということで、このルールが年賀状にも適用されると言うことで、議員は年賀状が出せないことになっています。

ブログとかホームページはどうなのか、ということになるわけですが、文書図画という意味では同じ扱いなので・・・やはり、いまのルールではよろしくないと考えています。

ということで・・・みなさま、どのような新年をお迎えでしょうか?また、新年にあたり、どのような決意をされましたでしょうか?

本文を書き出すまでに長々と書いてしまいましたが、昨年は本当に大変な一年でした。
私は年末にも、東日本大震災の現場に入り、いろいろ訪問して話を伺ったり、あらためてがれきの山を眺めたりしてきました。

スマホの中に面白いソフトがあって、写真を取ってから一句詠めるというものです。駄作ですが・・・つみあがったがれきをよく見ると・・・アルバムがあったり、ベビーカーがあったりするのを見て、とっさにこのように詠んでみました。

がれきの処理はいまだに進みません。静岡県が年間600トンを受け入れるかどうか、あるいは各市町村がどの程度負担するかが今後の課題というか、争点となっています。

私は、「国民全体に被災地支援の共通認識を醸成する。」という考え方は良いと思います。しかし、実際の仕事として、年間600トンというこんな小さな、瑣末と言えることに国は時間を費やすべきではないと思っています。私はこのような類のことは、国のやるべき仕事ではない、と思っています。国にはもっと大きな、ダイナミックな決断と実行が求められています。

焼却場を筆箱にたとえて話をすると・・・A君の筆箱が津波で流されてしまいました。このままでは勉強ができません。近所のB君に筆箱を貸して、と言います。「いや・・・でも・・・分かるんだけど、僕も勉強しないといけないし。ごめんね。」 C君にも頼んでみます。「この筆箱は、頼んで頼んで買ってもらったものだから・・・許可をもらわないと。ごめんね。」
こまって遠くの親戚のD君に頼んでみます。「使っていない鉛筆1本だけでいいから貸して。」 「いや、でも使う時があるかもしれないし、それに、もし貸して折れたりしたら誰が弁償してくれるの?」
こう言われて困り果てているA君のところに、政府というお父さんがやってきました。
「Aは津波の被害で困っているんだから、よし、お父さんが一緒に頼みに行ってやろう」
そして、B、C、Dに、
「もし折れたらお父さんが弁償するから、なんとか1本だけでも鉛筆を貸してやってくれんか」
「たくさんある鉛筆のうちの1本だけでいいんだから。」
「Aはかわいそうじゃないか。かわいそうだという気持ちがあるなら、それを共有して、なんとかするべきじゃないか」

まあ、だいたいこの手の話をしていると言う事です。
私は政府の仕事は、市町村と一緒に頼みに回る事じゃないと思います。市町村は何で頼まなければならないのかというと、焼却場を作るお金がないからです。べつに無理して借りたいわけじゃない。
国の本来の仕事は、「よし、それならお父さんが焼却場を作ってやろう。」と言って、各企業に命令する事です。当然、企業も意気に感じて、突貫工事で素晴らしい焼却場を作ってくれるでしょう。

東日本のがれきは2500万トンです。年間600トンでは、桁が5つも違う。ちなみに浜松にある清掃工場は、年間10万トン以上処理できます。これとおなじ年間10万トンの炉を20基も作れば、年間200万トン。10年あれば全て焼ききることが出来ます。その後はその地域の焼却炉として活用してもらえばいい。

仮に1基あたり高く見積もって100億円かかったとしても、2000億円です。放射能の除染に1兆円かけるとか言っているのなら、その2割を回せばがれきの処理はめどが立つのです。
ソロバンのはじき方も含めて、いったい何を考えているのか、と思います。

私はこれらのことを細野大臣のせいにするつもりはありません。環境省の仕事は大臣一人でやるものではありません。事務局が原案を作り、決断・判断するのがトップの仕事です。そういう意味では、環境官僚が何も知らないし、何もわかっていないのではないかと疑っています。現場の事も、国としてやるべきことも。

がれきの話を始めたら少し長くなりすぎてしまいましたが、今年はなにより、防災対策を徹底してやらなければなりません。

そのためにはいくつか必要な政策があるのですが、誰も言っていない分野について話をしますと(なぜ誰も言わないのか、と不思議に思っていますが・・・)、
私は防災学とか、防災士の資格取得とか、救命救急関連の資格を取るとかいうことを、県立高校や県立大学の単位として認定するよう、いま働きかけています。

そうすれば、県内の学生の多くがこの単位を取るようになるでしょう。そうすれば・・・うまくいけば毎年3万人程度(今年の静岡県の成人が3万7000人ですから)の、防災や救命救急の知識がある若者が増えることになります。10年すれば30万人。実に、県民の10人に1人が、いざという時に頼りになる存在になりうると言う事です。

日本全国を見渡しても、こんな県はありません。さらに言えば、どの県に行っても、静岡県の人はいざという時には動ける、頼りになる、ということになります。こんなに誇らしい事はありません。

私は中越地震、中越沖地震、そして今回の東日本と、それぞれボランティアで泊りこんで支援をしてきました。その中で確信した事は、ハードの整備以上に、ソフト面の整備、地域の人たちがいざという時に正しく行動できるか、正しく非難できるか、正しく救助できるか、ということが重要だと言う事です。

今回も被災後、たとえば教師の判断が間違って子供が死んだとか、保育園の判断が間違って幼児が死んだとか、意外と動けない、頼りにならない若者が多くて、高齢者と共に保護されていたとか、残念なケースを耳にします。こうしたことは、静岡県では絶対に起こさないと言う強い決意で、私は人間力の方の防災力を強化したいと考えています。

これは、各個人の立場からしても、いざという時に家族や知人友人を守れる強力な技術を身につけることになりますし、地域としては何よりも強靭になる。そのための一つの手段として、「防災・救命の資格取得を単位に認定する」ということから始めたいと思っています。

他にも、防災だけではなく、経済や医療・福祉分野も、これまでの延長線上ではなく、思い切ったブレークスルーが期待されています。こうした期待に政策でお答えする、そういう一年にしたいと思っています。

私は、自分がこうありたい、これを目指して研鑽を深めたいと言う思いから、「政策の鉄人」というキャッチコピーを使っています。これは、単なる官僚的な政策マシーンという意味ではなく、地域の思いや人々の思い、それは、声の大きい人の意見が通るのではなく、声なき声も聞きわけて、そして未来志向で政策を創り上げる。それが本来の政治家の仕事だと思っているからです。

そういう思いがあって、私は、「現場を知らなければならない、それなら地方政治から!」と思い、市議会議員から仕事をやってきました。もっと思い切った改革を現場で形にしたいと思って市長選に出て負け、県議に転身して今に至っています。

今年も最初の原点である現場主義を徹底しながら、「政策の鉄人」を目指して頑張りますので、どうか今年も皆様からのご指導とご支援を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

コメントを投稿する(*は入力必須項目です)
コメント
ページのトップへ