滋賀1区(自民党) 大岡敏孝(おおおか としたか)

2017年09月の記事一覧

2017.09.28 (木)

衆議院解散

先ほど衆議院が解散されました。

前回もそうでしたが、なんとも言えない緊張と、張り詰めた空気があります。

議員はみな、にこやかではありますが、選挙区ごとにいろいろな事情を抱えて、このあと地元に帰られるんだろうと思います。私も今日の午前中まで、衆議院議員として課題となっていた仕事をして、お昼の解散を迎えました。解散のギリギリまで、議員としての役割を全うしたつもりです。

今回の選挙について、大義やら時期やら、いろんなことが言われています。

私の個人的な意見では、今は最適のタイミングだと思っています。その第一は、北朝鮮の情勢です。

ご存知のとおり、北朝鮮はミサイル開発、核開発を加速し、最近になって技術の進歩が素人にも見て取れるようになりました。キムジョンウンという若い独裁者は挑発と暴走を続けていて、その意図は良くわかりません。何らかの戦略が裏にあるのか、衝動的なのかもわかりません。

このような状況を受け、国際社会も危機感を持ち、北朝鮮にさらに強い圧力をかけることで一致しました。先日から、十分かどうかは議論があるにせよ、経済制裁もスタートしました。

そんな中で選挙をやるのは危機感がないと言う意見もありますが、私はそうは思いません。来年になったら、経済制裁が強化されている可能性もあり、またその効果が強く出ていて、もっと緊張が進んでいる可能性があります。そうすると、国政は選挙どころではなくなります。私たちは来年の12月には任期満了を迎えますが、そのころになると全くどうなっているかわからないのです。そう考えると、いまのうちに短期戦で選挙をやるのは、絶対に正解だと思います。

また、北朝鮮と日本の政治制度の違いも考慮に入れなければなりません。北朝鮮は朝鮮労働党による一党独裁国家で選挙などありませんが、日本は定期的に選挙をしなければならない民主主義国家です。まず政治家の心理として、任期満了が近くなる、つまり次の選挙が近くなれば、だんだん落ち着いて考えることができなくなってきます。いまは、改選後約3年ですから、残り4分の1の任期となりました。つまり、クルマにたとえると、ガソリンが4分の1しかない中で仕事を進めているんですね。これが来年になると・・・もうガソリンランプがついています。そんな状態では、仕事だろうと観光だろうと、落ち着いて走っていられません。ガソリンスタンドのことばかりが気になってしまうんですね。政治家も人間ですから、人間らしい心理から逃れることはできず、それを主権者である国民は理解したうえで政治家に仕事をさせる・・・と言うことを考えると、今の時期なんだろうと思います。

一方で、一党独裁国家に対する民主主義国家の強みは何かと言うと、これまた選挙なんです。強みも弱みも、裏表の関係なんですね。それはつまり、私たちは国民の信任を受けた、ということが証明されていれば、それほど政治家を強くするものはありません。一党独裁国家は自分たちが過去に決めた制度で一党独裁を維持しているだけであって、今の政権が支持されてるかどうかは何の自信も根拠もないんですね。民主的な選挙をやるなんて恐ろしくてできない。それに対して民主主義国家の政治家は、それがはっきりと証明されている。これほどの強みはありません。つまり、今後北朝鮮対策において、国際社会と交渉し、国際社会を動かしてゆく意味でも、またキムジョンウンと対峙し直接圧力と対話を進める上でも、日本の政治家が選挙によって、国民の信任によって、強く大きくなっておくことは、非常に重要なのです。

そういう意味でも、今回の選挙は負けるわけに行かない選挙だと思っています。負けたらすぐに、キムジョンウンにつけ込まれてしまう。さらなる揺さぶりをかけてくることは容易に想像できます。北朝鮮に対し、また国際社会に対し、対話と圧力の両面を使って交渉し、日本の国民と国土を守り抜くためにも、しっかりと信任を得る選挙にしなければならないと思っています。

第二点目の理由は、前の改選から3年、安倍政権になってから5年、一定の成果を出してきたつもりですが、課題も見つかってきました。サービス業や中小企業の生産性が低いとか、そのせいで賃金がなかなか伸びてこないとか、人不足が目立つようになってきたとか、高齢者の伸びに介護の体制が追いつくのかとか、子どもたちの学びの効果がどうかとか、国際社会に対応する能力を鍛えられているかとか、障害を持つ子どもたちの教育はこれでいいのかとか、CO2削減は大丈夫なのかとか・・・私自身も多くの課題を認識しています。

そうしたこれまでの取り組みと、今後の課題について、国民に正直に語り、ともに考え、一定の評価をしてもらう機会は、選挙以外にはありません。国民主権と言いますが、普段は国民が主権を発動することなんてできないんですね。国民が国や地方の役所に行って、俺は主権者である国民だから俺の言うとおりの政策をしろ、と言っても、誰一人それに従ってはくれません。やりすぎると、むしろつまみ出されてしまいます。国民主権の主権は、まさに選挙を通じて発動されるものであり、私たちも皆さまおひとりおひとりの主権を預かることで、それはご意見や期待とともにあずかることで、次の仕事につなげてゆくわけです。ですから、さまざまな課題について、うそやごまかしなく正直に伝え、自分の意見も伝え、それを評価してもらうには、3年・5年の節目としてちょうど良い時期だと思っています。

ところが、今日もまたいろいろな動きがあるのだと思いますが、私たちは誰と選挙戦を戦い、何を争点にするのかが定まらない状況となっています。野党側が混乱しており、野党第一党の民進党は、公認候補を一人も出さないと言う事態になっています。誰がどの選挙区から出るのかも流動的で、私たちは相手が見えない中での準備を進めることになりそうです。

そのような中ではありますが、私たちは与党としてこれまで政策を進めてきたのですから、相手に関係なく、自分の通信簿をもらうつもりで選挙戦を進めようと考えています。自分との戦いだ、というつもりで、一人でも多くの方に思いを伝えてゆきたいと思います。

最後まで、しっかりとがんばりぬきますので、どうかご支援賜りますよう、よろしくお願いいたします!

2017.09.22 (金)

大きな政治家の引退

今回の選挙では、各党の大物政治家が引退を決められています。
自民党からは谷垣禎一先生、民進党では川端達夫先生がご引退を決断されたと報道がありました。
民進党の川端先生は、私がこれまで二回、胸を借りて選挙を戦わせていただきました。民進党の幹部であり、現在は会派を離れて議会全体をまとめる副議長をお勤めいただいています。選挙で戦った相手だけに、前回の副議長選挙の時には、激戦だった選挙の直後に「川端達夫」と書くのは・・・なにか変な感じでした。そのことをご本人にお話したら・・・「そうだろうね。よくわかるよ。でも一票ありがとう!」と言われたことは、よく覚えています。
民主党政権時代には、文部科学大臣2回、そして総務大臣を歴任され、つまり鳩山、菅、野田すべての内閣で大臣をお勤めでした。当時の内閣が無理筋の政策を進めようとしたときには、いつも正論で諫めておられたと聞いています。民主党時代の大臣にはいろいろな方がおられましたが、そうした中では実に堅実に仕事をしておられたと思います。高校授業料無償化など、多くの実績も残されました。
また、私に対しても、折に触れて政策の考え方や問題点を指摘していただきました。政治の何たるかを熟知し、他党ながら若い政治家を育てるような思いでいてくださったのだと思います。このような大きな政治家と同じ時期に仕事ができたことは、私にとって貴重な経験となりました。
滋賀で育った私は、子供のころにポスターを見たことがある政治家と、この年になって選挙を戦い、そしてご引退を決断されたときに居合わせたことは、ひとつのご縁だと感じます。これからも、大所高所からご指導いただきたいと思っています。
自民党の谷垣禎一先生は、私が自民党から出馬を決めた時の総裁でした。まだ私が県議だったときにお目にかかる機会があって、当時は自民党が大量落選で政権を失い、揺れていた時代、党名を変えるとか離党者が出るとかそんな頃でした。率直に意見を言ってくれと言われた私はストレートに、「正直言って私たち若い議員には、これまでの自民党は魅力に欠けます。表面では若いけどよくわからないのがふわふわやっていて、少し中に入ると旧態依然とした既得権の岩盤。これでは広く候補者を募り、国民との対話を行うような国民政党からはほど遠く感じます。」という趣旨のことを申し上げました。すると、谷垣先生は「ひとつだけはっきり約束しますよ。私は今までの自民党をそのまま再生するつもりはない。戻すつもりはありませんから。あなたのように若くて気概のある人が活躍できる自民党にしますから。」と言われたのです。私はこれを聞いて、よし、もう一度自民党に賭けてみよう、という気持ちを強く持ちました。そのときは、私は2度も自民党の公募に落選していて、縁がないのかな、向いてないのかなと思っていたのですが、三度目の挑戦をするきっかけになったのは、谷垣先生との会話でした。
その後、谷垣総裁から滋賀1区の支部長に任命していただき、選挙を迎えましたが、谷垣先生には2度もお越しいただきました。そのたびに力強く応援演説をしていただき、勝利に向けて大きく弾みがついたと思います。
また、法務大臣にご就任になり、大津市が抱えていた「所在不明土地問題(地図混乱問題)」の解決をお願いしました。これは大津市の住民や関係者が長年苦しんでこられた問題で、谷垣大臣の強いご指導のおかげで法務省が動いてくれ、いまではこれまでとうってかわって、加速的に解決に向かうことになりました。
本当に残念なことに、昨年自転車の事故で入院され、政治の第一線からは外れて療養を続けておられました。こうしたこともあって、ご引退のご決断に至ったものと思います。
お二人とも、一つの時代を作ってこられた大きな政治家です。身近な政治家が引退されるのを見ると、こうして世代交代がなされていくのだと思いました。私もいずれ、引退し後進に道を譲るときが来ます。そのときはどうするんだろうな、とぼんやり考えました。同時に、政治家の退き際は本当に難しいものだと感じました。
これから20年の日本の政治は、私たちの世代が中心になって作ってゆかなければなりません。改革しなければならないことは、山ほどあります。世界を相手に勝負しなければならないことも、たくさんあります。あらためて身の引き締まる思いをした一日でした。
2017.09.20 (水)

インド訪問

先日、インドにおけるODAの目玉案件である新幹線の起工式と、私の出身企業であるスズキの新工場の開所式のために、インド・アーメダバードを訪問してきました。
インドは日本にとって、過去もこれからも非常に重要なパートナーです。今から70年前、日本が第二次世界大戦に敗れ、まさに四面楚歌になっていた時に支えてくれたのはインドでした。パール判事が戦勝国による事後的・一方的な裁判を批判したことは有名ですが(これは、日本に戦争責任がないといったわけではなく、正論を通したということです。あしからず)、日本に対する賠償賦課を最初に放棄してくれたのはインドです。その後、第一次大戦の巨額賠償がナチスの台頭を生んだという分析から、戦勝国が次々と賠償放棄を決める流れとなりました。もし賠償放棄がなかったら・・・戦後当分の間は、日本人が頑張っても頑張っても賠償に持っていかれて、戦後の復興は大幅に遅れたかもしれません。今のような先進国の日本はなかったかもしれません。
さらにさかのぼっても、インドは仏教の発祥の地であり、西遊記で夏目雅子さんがガンダーラを目指して旅をする話はみんな知っていますね。滋賀県には比叡山、三井寺、石山寺など歴史のある寺社仏閣が多く、色黒のお坊さん(当時、遠くインドから招いていた)が中心になって式典を行う様子が残っています。日本人の心根に深く息づいている仏教とその関連文化は、例えば琵琶湖の名前(琵琶)もインドのビナ(という楽器)からきていますし、七福神も日本人はえびす様だけで、弁天様も大黒様もインド人のようです。
そんな心のふるさとであるインドで、日本との関係をさらに深くする事業が数多く立ち上がっていることに、強い因縁を感じながら訪問し、要人との会談もさせていただきました。アーメダバートの街は歓迎ムード一色で、いろいろ考えてくれたのだと思いますが、不思議な鳥居までお目見えしていました。
まず新幹線は、まさに日本とインドの関係を示すフラッグシッププロジェクトとして、何としても成功させなければなりません。政府はもとより、JR東日本、建設企業の皆様と協力し、インド国民に喜んでもらえる事業としたいと思います。式典ではモディ首相、起点と終点の各州知事につづいて安倍総理からも祝辞があり、日本とインドを特別な二国間関係として、経済発展や地域平和のためにやってゆく趣旨の発言がありました。
そして、スズキの新工場は、インド政府からも大きな期待がかけられており、安倍総理、モディ首相のお二人から祝福のメッセージがありました。ここはメイクインインディアとエクスポートフロムインディアという二つの政府方針に沿ったもので、インド国内のみならず、インド製の車を世界に向けて輸出するとのことです。
インドは、産業構造として製造業が非常に弱く、これが長年問題となっていました。サービス業のみでは雇用も外貨獲得も不十分だからです。当面は、資本収支は赤字となりますが、それを貿易収支でカバーする形で経済運営を進める戦略のようです。そこに、35年にわたってインドの自動車産業を引っ張ってきたスズキが協力するというもので、国を挙げた期待を感じました。
スズキの鈴木修会長によると、品質についても日本製に追いつきつつあるということで、これからのインド製造業の発展が楽しみになります。
一方で、課題もたくさんあります。一つは電力です。今回のグジャラート州は電力が安定していることが強みの一つですが、国全体で見ると非常に脆弱です。電力がないと、産業面はおろか、生活面、衛生面でも環境が劣悪となり、子供たちの死亡率も下がりません。にほんの最高の技術で協力して、電力のサポートをする必要があります。もうひとつはインフラです。道路はひどい状態で、これではいくら最新鋭の工場を作っても、そこへの資材の搬入や、製品の搬出で不具合が生じます。広い国土に、日本のようなレベルの高い道路を敷き詰めることは不可能です。維持管理で国がつぶれてしまうでしょう。だとすると、物流面を高度化・効率化する高速の鉄道貨物を整備しなければなりません。
インドを訪ね、現場を見て、いろいろな方のお話を聞くと、本当に政治がやらなければならないことがいっぱいで、わくわくしますね。成熟国家である日本では感じられない感覚で、少しうらやましいと思いました。
あわせて、先ほど書いた電力も、鉄道も、道路も、通信も、農業も、ものづくりも、日本のあらゆる分野にチャンスがあります。インド人はみな、日本の技術や人材にあこがれ、期待しています。我が国の政治も、経済も、少し内側を見すぎてきました。外には大きなチャンスが広がっている、日本に対する魅力やあこがれも一定程度浸透している、そのチャンスを多くの国民や企業がつかみ取れるよう、これからも政策を進めてゆきたいと考えています。
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