滋賀1区(自民党) 大岡敏孝(おおおか としたか)
2017.09.22 (金)

大きな政治家の引退

今回の選挙では、各党の大物政治家が引退を決められています。
自民党からは谷垣禎一先生、民進党では川端達夫先生がご引退を決断されたと報道がありました。
民進党の川端先生は、私がこれまで二回、胸を借りて選挙を戦わせていただきました。民進党の幹部であり、現在は会派を離れて議会全体をまとめる副議長をお勤めいただいています。選挙で戦った相手だけに、前回の副議長選挙の時には、激戦だった選挙の直後に「川端達夫」と書くのは・・・なにか変な感じでした。そのことをご本人にお話したら・・・「そうだろうね。よくわかるよ。でも一票ありがとう!」と言われたことは、よく覚えています。
民主党政権時代には、文部科学大臣2回、そして総務大臣を歴任され、つまり鳩山、菅、野田すべての内閣で大臣をお勤めでした。当時の内閣が無理筋の政策を進めようとしたときには、いつも正論で諫めておられたと聞いています。民主党時代の大臣にはいろいろな方がおられましたが、そうした中では実に堅実に仕事をしておられたと思います。高校授業料無償化など、多くの実績も残されました。
また、私に対しても、折に触れて政策の考え方や問題点を指摘していただきました。政治の何たるかを熟知し、他党ながら若い政治家を育てるような思いでいてくださったのだと思います。このような大きな政治家と同じ時期に仕事ができたことは、私にとって貴重な経験となりました。
滋賀で育った私は、子供のころにポスターを見たことがある政治家と、この年になって選挙を戦い、そしてご引退を決断されたときに居合わせたことは、ひとつのご縁だと感じます。これからも、大所高所からご指導いただきたいと思っています。
自民党の谷垣禎一先生は、私が自民党から出馬を決めた時の総裁でした。まだ私が県議だったときにお目にかかる機会があって、当時は自民党が大量落選で政権を失い、揺れていた時代、党名を変えるとか離党者が出るとかそんな頃でした。率直に意見を言ってくれと言われた私はストレートに、「正直言って私たち若い議員には、これまでの自民党は魅力に欠けます。表面では若いけどよくわからないのがふわふわやっていて、少し中に入ると旧態依然とした既得権の岩盤。これでは広く候補者を募り、国民との対話を行うような国民政党からはほど遠く感じます。」という趣旨のことを申し上げました。すると、谷垣先生は「ひとつだけはっきり約束しますよ。私は今までの自民党をそのまま再生するつもりはない。戻すつもりはありませんから。あなたのように若くて気概のある人が活躍できる自民党にしますから。」と言われたのです。私はこれを聞いて、よし、もう一度自民党に賭けてみよう、という気持ちを強く持ちました。そのときは、私は2度も自民党の公募に落選していて、縁がないのかな、向いてないのかなと思っていたのですが、三度目の挑戦をするきっかけになったのは、谷垣先生との会話でした。
その後、谷垣総裁から滋賀1区の支部長に任命していただき、選挙を迎えましたが、谷垣先生には2度もお越しいただきました。そのたびに力強く応援演説をしていただき、勝利に向けて大きく弾みがついたと思います。
また、法務大臣にご就任になり、大津市が抱えていた「所在不明土地問題(地図混乱問題)」の解決をお願いしました。これは大津市の住民や関係者が長年苦しんでこられた問題で、谷垣大臣の強いご指導のおかげで法務省が動いてくれ、いまではこれまでとうってかわって、加速的に解決に向かうことになりました。
本当に残念なことに、昨年自転車の事故で入院され、政治の第一線からは外れて療養を続けておられました。こうしたこともあって、ご引退のご決断に至ったものと思います。
お二人とも、一つの時代を作ってこられた大きな政治家です。身近な政治家が引退されるのを見ると、こうして世代交代がなされていくのだと思いました。私もいずれ、引退し後進に道を譲るときが来ます。そのときはどうするんだろうな、とぼんやり考えました。同時に、政治家の退き際は本当に難しいものだと感じました。
これから20年の日本の政治は、私たちの世代が中心になって作ってゆかなければなりません。改革しなければならないことは、山ほどあります。世界を相手に勝負しなければならないことも、たくさんあります。あらためて身の引き締まる思いをした一日でした。

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