滋賀1区(自民党) 大岡敏孝(おおおか としたか)
2020.08.29 (土)

安倍総理の辞任表明

昨日、安倍総理が辞任を表明されました。

私も事前の報道で初めて知り、その時間はご相談に来られたお客様と一緒に、テレビで会見を見ました。

ここしばらく、顔色などが優れないとは感じていたのですが、昨日はテレビ越しにはお元気そうに見えました。おそらく力を振り絞って会見に臨まれたのだと思います。

もとより、潰瘍性大腸炎は完治しにくい病気で、難病です。私は、誤解があるといけないし、総理には申し訳ないのですが、一国の総理がご自身も難病と闘っておられることは、国民にとっては良いことだと思っていました。それは、総理ご自身も難病の方をはじめ、何か苦しいものと闘っている人々、困難に打ち勝てずにもがいている人々、そういう人々がいることを知り、似た立場で政策を考えられるからです。実際に、安倍政権で難病対策は大きく進み、これまで支援できなかった人たちにも国の支援が進むようになりました。とかく上から目線になりがちな政治ですし、総理ご自身も政治家一家に生まれておられて、その点では、潰瘍性大腸炎という難病と闘いながら政治をすることは、庶民の気持ち、弱い立場の人たちの気持ちを知ったうえで重要な決断をする、難病が政治家の資質を高めていたのではないかと考えています。

しかし残念ながら、総理という仕事の重さは、私たちの想像を超えるものだったようです。通常の仕事に加え、正体不明の感染症との戦いは、総理の体力を大きく奪っていたのでしょう。来年度の予算編成や外交日程、人事などを考えて、今しかないと退陣表明されたのだと思います。逃げただの病気に負けただのは誰にでもいえることですが、私はそうは思いません。最後まで国の運営のことを心配し、苦渋の決断で判断をされ、力を振り絞って会見に臨まれたのだと思います。難病との戦いに勝ちきれなかったことを認めるのは、誰にとってもつらいことです。それでもなお、第一次の1年間と、第二次の8年間闘い続け、打ち勝ち続けてきたことは多くの国民に勇気を与えたことだと思います。残りの任期を全うしていただき、新総裁にしっかりと引継ぎをしていただいて、それからは次の戦いに備えてゆっくりと体力を蓄えていただきたいと思います。難病との戦いはこれからも続きますし、政治家としての仕事に期待している人がたくさんおられるので、その期待に応えていただきたいと思います。

そして、早くも永田町は次の自民党総裁選びに走り出しました。政治は瞬発力とスタミナがともに求められる仕事です。この先、2週間から3週間程度で次の自民党総裁、つまりは次の総理大臣を選ぶことになります。

私は、この自民党総裁選のありかたが、大変よくできた日本の政治制度の中で、一番課題の多い部分だと以前から思っています。本来は平時にしっかりと議論しておかなければならないのですが、思惑がたくさん絡むのでなかなか議論できずにいるところに、急に政局が回り始めて十分議論できずに決める、というパターンになっているのではないかと思っています。

まず日本は議院内閣制です。アメリカなど国民が直接トップを決めるほうがいい、という意見もありますが、私は逆の意見です。議院内閣制では、総理大臣はほぼ確実に衆議院議員から選びます。議員同士で選ぶので、選ばれるためには年数もかかるし、それまでに国民から、マスコミから、議員同士で、人物評価されて、政策力を評価されて、もまれにもまれて候補者になってきます。ただ瞬間芸で人気が出た、とか、ルックスがいいとか学歴がいいとか、メディアで面白くて人気があった、というだけではプロの目はごまかされません。事前に何年間も評価にされされて、あいつは向いてるだとか、あいつは線が細いとか、あいつは土壇場で逃げるとか、いろんな角度から試されて、総理や各大臣になっていきます。だから、疑似的にではありますが、国民がそれなりに人となりや政策を知っているわけです。ひるがえって大統領は(日本では市長や知事は大統領制に近い)、時々、どんな性格、どんな政策かわからない人が瞬間的な人気でなったりするので、期待外れだったり、想定外の政治行動に出たり、公約が果たせなかったり、いろいろな弊害が出ることがあります。もちろん逆もあって、思いがけず良い政治人材を発掘するときもあります。いずれにしても、イチかバチか的な要素が強くなり、国は失敗が許されないので、国のトップを選ぶには大統領制は向いていないと言えるでしょう。その点では、国民にもまれて安定した人材を登用するという議院内閣制のほうが、日本には合っていると考えています。

また、国は政党政治になっていて、政党はその背景が何であろうと自由に活動し、自由に言論することができます。これは日本の民主主義の強みであり誇りです。世界には、一党独裁の国もあるし、自由な言論など全く認められていない国もあります。そんな中、日本では、首相官邸の前で総理を批判し「総理出てこーい!」とか「総理は今すぐ出ていけー!」とか言っても、誰も捕まえに来ませんし、逆にそのアジ演説を妨害しようとする人から警察は守ってくれています。政党の自由な活動の下、ある程度安定した政党活動をすることで、国民はそれぞれの政党の特長を知り、そのうえで定期的に行われる選挙で政党と候補者を選ぶ、というのは、他国に比べて安定性と公開性、選択可能性という点で優れていると感じています。

しかし課題としては、その政党のトップを選ぶ部分です。とりわけ私たち自民党は、「国民政党」を標榜し、実際に日々の活動は本当に広く国民に開かれていると実感します。各地域の支部長さんたち、国会議員や県議、市議の皆さんも、本当に分け隔てなく国民の声を聴き、あらゆるところに顔を出して、民主主義の形を作ってくださっています。党本部の活動でも、本当に様々な団体の声、労働組合の声、宗教団体の声、ひとりの国民の声を聴く部会が多く開かれていて、日ごろの政策活動はまさに「国民政党」です。ところが、そのトップを決める、最近はイコール「国のトップ」を決める「総裁選」となると、今回のように(おそらく両院議員総会)電撃的に決めることになるし、仮に党員投票をやったとしても、投票するのはあくまで党員だけで、国民の参加感がどうも得られないのです。もちろん、党員の皆さんは、県や市の議員さんたちはもとより、地域を代表する方々が多いので、普段から党員以外の声もよく聞いておられて、それなりに国民の声を反映した投票行動をしていただいていますが、もう少し、せめて候補者の人となりや政策が、広く国民にわかるやり方で、つまり東京だけではなくそれぞれの地方においても参加感が得られるような総裁選を作れないかと思っています。

具体的には、せめて1か月くらいは総裁選の選挙期間とし、地方遊説をやりたいと思っています。アメリカは、先ほど言った大統領選の弱点を知っています。だから、大統領選挙はおよそ2年間近くにわたってアメリカ国民の目にさらされます。まず、共和党、民主党それぞれの公認候補となろうとするところから、何人もの人たちが活動をはじめ、政治資金を集め、プロの評価、世論の評価にさらされながら、ひとりずつ脱落してゆくのです。まさに、昔見た「アメリカ横断ウルトラクイズ」の世界です。それは、共和党と民主党という二つの政党の内部の活動でありながら、まるで国民全体が参加し、国民全体でコンセンサスを取れるように仕組まれていて、これは民主主義の知恵だと感じます。

私は、自民党は引き続き、「国民政党」でありたいし、「総理を出す政党」でありたいと強く願っています。だとすれば、党内の活動であっても、全国民が参加できるような、また全国民の評価があり、それにもまれてもまれて、自民党総裁になってゆくような「新しい仕掛け」が必要だと思っています。党員の皆さんも、さらには多くの国民も、今回の総裁選について、短時間で各派閥の数を大きく足し算するだけのもの、あらかじめ派閥の足し算で結果が見えているものを望んではいないと思います。まさに新しい国民政党としての自民党の進化を期待しているんだと思います。それは決して、自民党そのもののためではありません。むしろ国民の利益、国民の民意に沿った選択につなげるためです。民主主義、政党政治には必ずどこかに弱点があり、それを補完し克服するような「知恵」が必要だと思っています。自民党がその知恵を備えるようになれば、当然ながら、他の政党にもそれが広がってゆきます。

「日本の優れた民主主義」それを議論するスタートになるような自民党総裁選にしたいと思います。

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