滋賀1区(自民党) 大岡敏孝(おおおか としたか)
2021.08.21 (土)

パラリンピックの開幕を目前にして

いよいよ、明々後日の9月24日からパラリンピックが開幕します。

私はこれまでから、オリンピックよりもむしろパラリンピックを応援し、議連にも入り、機会あるごとに推薦してきました。

私がパラリンピックを知ったのは、今から20年以上前、今回の東京パラリンピックの選手団長を務める河合純一選手との出会いでした。当時彼は、盲目でありながら人の何倍も努力を重ね、教師になることを目指していました。彼を支援していた大学の先輩からの紹介で、河合選手と会い、私も衝撃を受けたことを覚えています。

その後河合選手の努力は実り、晴れて地元の舞阪中学校の教師となったのですが、そこで終わらないのが河合先生のすごいところです。その後も努力を続けてパラリンピックに挑戦し続けて、合計6大会に出場し、金メダル5個を含むメダル21個の保持者となりました。

当時から、河合先生との思い出はたくさんあるのですが、忘れられないのが、「大岡先輩、パラリンピックって、どの役所が担当してるか知ってますか?文部科学省じゃないですよ。厚生労働省ですよ。これ、国は、障害者のリハビリの一部としか見てないんですよ。これから先、障害を持って生まれてきても、希望を捨てずにスポーツにチャレンジする子供たちのために、こういう国の政治を変えたいんです。」という言葉です。

彼はその言葉にまっすぐに、当時「改革政党」として注目されていた「みんなの党」から立候補します。私は当時、政党には所属せず、無所属議員のまま選対本部長を務めることになりました。私の力不足もあり、残念ながら当選させることはできませんでしたが、河合先生の「底抜けの体力」や、気迫のこもった演説、触れ合うことさえできれば多くの人を魅了する「実現すると信じている夢」に、心の底から驚かされました。あわせて、挑戦する力、心の強さに感銘を受け、これがパラリンピックアスリートなんだ、と感銘御受けたことを覚えています。

その時から、パラリンピックに注目し、応援するようになりました。いまや、河合先生の夢の一つである、「パラリンピックを名実ともにスポーツにする」という政策は、今の所管がスポーツ庁になったことで実現しています。しかし、オリンピックの付属品ではなく、資金でも運営でも独立する、ということは道半ばです。河合選手団長には、引き続き夢に向かって突き進んでもらいたいと思っています。

さて、東京パラリンピックですが、オリンピックの閉会式が「お祭り」だったこともあってか、なにか「祭りのあと」のような雰囲気です。それに重ねて、コロナの感染者が拡大したことで、残念なことに、パラリンピックは全会場無観客となってしまいました。パラリンピックの場合は、オリンピックと違って、会場は東京都、埼玉県、千葉県、それと静岡県です。オリンピックは「復興五輪」ということで福島県や宮城県が会場になっていましたが、パラリンピックは福島などの会場はなく、「復興パラ」ではないようです。この点も少し残念です。

私はこれまでから、何とかパラリンピックだけでも、他のスポーツイベントと同じように、一定のルールで観客を入れていただきたいと訴えてきました。しかし残念ながら、それは叶いませんでした。希望をつないだ静岡もダメになってしまいました。

そうした中、東京都は小中学生、高校生を対象に、パラリンピック観戦を進めると発表。教育委員会が反対したこともあって、賛否両論が渦巻いていますが、私はこの都知事の方針に賛成です。千葉県や埼玉県も観戦させるようです。静岡県も観戦を進めると発表しましたが、残念ながら全校辞退したとのこと。生真面目な静岡県の県民性があらわれたのでしょうか。教育委員会は、子供の健康や、家族への影響も考えての判断だと思いますが、そこを考えたとしても私なら子供に見てもらい、感じてもらうことを優先すると思います。それは、それぞれの判断ですので、良いとか悪いとか言えませんが、私ならそう判断します。今回の4人の知事と同じ判断です。

パラリンピックアスリートは、確かにオリンピックと比べると、「世界一の運動神経」というわけではないかもしれません。しかし、確実に言えることは、世界一「心の強さ」「希望を持ち続ける強さ」を備えた選手だということです。遺伝や、病気や、事故で、自分の体の機能の一部を失った人たちです。失望もしたと思います。事故の人は、後悔もしたと思います。被害者であったり、場合によっては加害者でもあったりして、恨みや罪悪感に苦しんだ時期があったかもしれません。それでも、もう一度希望を持ち、可能性を信じて努力を重ねた人たちです。このことは、子供たちにどうしても伝えたい。それは、できれば現場で、温度を感じて、汗や呼吸を感じて、子供たちに学んでもらいたいと思います。たとえ一秒でも、パラリンピックアスリートと目が合って、それで衝撃を受ける子供がいるかもしれない。その子が将来、スポーツや文化、政治や経済、社会活動の分野で活躍するかもしれない。その力の原点になるかもしれない。それが次の世代に希望を託す、バトンをつなぐということだと思っています。

いま、誤解を恐れず申し上げれば、悪い側面の「老人民主主義」が日本に広がっていると感じています。いつからか、かつて「知恵」や「悟り」を備えた敬意の対象としての「老」という言葉が忘れられ、生にしがみつき、将来よりも目先のことを優先して、大きな声を出す、「残念な老人」が民主主義を動かすようになってきたと言われています。私の周りにいる先達者たちは、むしろ次世代を心配し、将来を憂い、自分たちを踏み台や肥やしにしてでも若い世代に成長してほしいと願う人たち、未来に希望と可能性を託す人たちが多いので、それらの批判には少し違和感があります。しかし世の中の議論を聞くと、何百万人という多くの子供たちの学びや、子供たちの将来、次の世代の成長のきっかけよりも、今のコロナが怖いし、一人でも高齢者がなくなるようなら関連する活動を止めるべきという議論があるのは、本当に残念でなりません。

私の所属する自民党も高齢化し、老人政党化が進んでいると言われていますが、それも、そんな国民の姿かたちを反映しているのかもしれません。このことは、私たち「若手」と言われる(民間企業なら責任ある立場になる年齢ですが・・・)政治家が、高齢の政治家から見ると、頼りない、とても譲れる状況にない、と思われているからであって、世代交代せざるを得ないほど若手が力を付けなければならないと猛省しています。私たち若手が、国民の正面に立って、今の世代は次の世代に対し何ができるか、本来あるべき老い方はなんなのか、若者の役割は何なのか、さらにはコロナについて、どういう価値観でコロナを乗り越えるのか、コロナを一定程度飲み込んででも次世代のために社会活動・経済活動を進めるべきではないか、ということを語り、説得しなければならないと思っています。

私は民主主義の可能性を信じています。どんな他の独裁体制よりも、時間と手間がかかるかもしれないけど、民主主義によって国民が納得し力を貸してくれた時のパワーのほうがずっと優ると信じています。今回のパラリンピックをきっかけに、何を感じ、何を思い、何を決断し行動するか、国民の皆様ひとりひとりが考えていただければと思っています。

最後に、小さなことですが重要なこととして、次回のパリ大会に引き継いでもらいたいのは、「オリンピックの前にパラリンピックをやる」ということです。そうすれば、「祭りのあと」のようにはならないと思います。最初に書いた河合先生の思いと同じく、いつかきっと、パラリンピックが自立したものとなり、多くの国民が見て、感動して、その後の行動に変化をもたらすような、素晴らしい競技大会になるよう、国民の皆様にもご支援いただければと思います。

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