アフリカ出張
新年を迎えて早々に、アフリカ出張に行ってきました。
昨年横浜にてTICADという、アフリカのそれぞれの国がどのような成長を目指し、それに日本がどのような支援ができるかを議論する、大きな会議が開かれました。私はその現場対応や要望聞き取りを行う主要メンバーの一人として、横浜に泊まり込んで対応をしておりました。そうしたことから、年が明けたらすぐにTICADのフォローのためにアフリカに行って来いという指示をいただき、エチオピア、マダガスカル、南アフリカ、アンゴラ、エリトリアという5か国の訪問に向かうことになりました。
まずここ数年、アフリカの航空業界は大きな変化を迎えています。かつては旧植民地であったこともあり、ヨーロッパからの便が便利だったのですが、今一番便利だし、お客さんを囲い込みつつあるのは、UAE・ドバイのエミレーツ航空と、エチオピアのエチオピア航空です。両社ともに新しい機材をそろえ、アフリカの様々な国に定期便を飛ばしています。アフリカに行くというと、古い機材で不安を感じながら・・・というのは古いイメージで、今では最新の飛行機で快適にアフリカに向かうことができます。両社とも、それぞれの会社の大きな成長戦略として、アフリカ各国便に投資をすすめているのでしょう。今回はエチオピア航空をメインに回ることになりました。
成田からエチオピアまで、バンコク経由で15時間でした。いま、バンコクや香港、北京、仁川がアジアのハブ空港となっていて、日本の存在感が低下していることに危機感を感じます。地政学的に仕方がない面もありますが、せめて航空機リースなど、航空ビジネスにおいては日本をハブに成長させられないかと提言しています。税制など対応すべき課題はそれなりに大きく、実現するための力不足を痛感しています。その後、乗り換えてマダガスカルに向かいました。バオバブの木で有名な、アフリカの離れ小島(といっても日本の1.5倍)であるマダガスカルには初めて伺うことになります。
街中では、通りすがる人に「ニーハオ!」と言われます。この顔を見ると、中国人だと思うのでしょう。日本の存在感を出してゆかなければなりません。日本は日本らしく、教育や民生において草の根の支援を続けています。その国の国民に近いところで、例えば水道や医療、病院の建設や資材の支援、学校建設や教育方法の支援など、日本流の伴奏型支援をさらに拡充したいと思います。また日本の住友商事が大きな投資をして現地の経済活動・外貨獲得を支援しているニッケル・コバルト鉱山にも伺いました。日本からの投資も、その国が外貨を稼ぎ、稼いだ外貨を自国の国民生活に使うためにも非常に重要です。これからマダガスカルに興味を持つ日本企業を増やしてゆきたいと思っています。
その後、南アフリカに向かいました。南アフリカはアフリカ大陸の優等生と言われています。経済的にも、厚生の面でもアフリカではトップの国の一つです。かつてアパルトヘイトの国として知られ、マンデラ大統領がアパルトヘイトと戦い、諸外国も巻き込んで、南アフリカに経済制裁を課すことで、内外からの圧力を背景にアパルトヘイトが撤廃されました。ちなみに日本人は、本来は黄色人種ですからアジア人として差別されるのですが、アジア唯一の先進国ということで「名誉白人」とされていました。とはいえ、すべて白人と同等ではなく、なんと言ったらよいか…という状況だったのです。今やアパルトヘイトはなくなりましたが、主に白人層と、主に黒人層の所得格差はなくなっていません。むしろ拡大しているとの説もあるようです。失業率は高く、そのせいで治安も悪いです。アパルトヘイトで白人支配を否定した、までは良かったのでしょうが、白人社会を否定し、白人が行っていた教育を否定し・・・とやって、つまりはやりすぎて、黒人の子供たちの教育は世界では通用しないほど遅れてしまったようです。黒人の中にも白人と同様の教育を受けた子供たちは成長して社会の主要なポストに就くことができていますが、英語やオランダ語を否定し、白人教師を追放して、旧来の言葉で教科書もない教育を受けた子供たちは、大人になっても現代社会の仕事には就くことができません。ある意味で皮肉で残念なことですが、理想と現実のギャップ、適度に妥協できなかったことの被害者が現実にどうなっているか、それをまざまざと見せつけられる国が南アフリカです。昨年の日本でのラグビーワールドカップでは、優勝した南アフリカチームのスクラムハーフのデクラーク、キャプテンのシヤコリシの活躍は、全世界の国民の目に焼き付けられました。白人のスポーツで黒人が大活躍した姿になぞらえて、南アフリカの主に黒人の国民で困難な生活をしている人々に、日本としてどのような支援ができるか、しっかりと考える必要があります。
それから、アンゴラに向かいました。アンゴラも、独立時の共産主義陣営との結びつきから時間がたち、いまでは西側諸国とも積極的に交流するようになっています。日本は病院などの民生支援を積極的にしており、今回もいくつか宿題をいただきました。また、新たにマブンダ魚市場も訪問しました。ここは、マブンダさんというおばあちゃんが勝手に開設していた魚の取引所を、国や自治体が支援してなんとなく魚市場にしたもので、衛生的にもかなりよろしくない状況です。日本の某有名海産企業の支援をお願いし、衛生環境を整備できないか考えてゆきます。また、魚についての知識が浅く、例えば釣ってきた魚の血抜きも下処理もしないし、少し古いのは適当に干物にしてるだけだし、氷もなければ冷蔵もできないので、締めることもできないし、どんどん傷んで捨てるか、傷んだものを売るか、まあよろしくない状況です。日本の魚の知識や技術は世界一ですので、知識の普及や技術の指導、浄水器、製氷機、冷蔵庫、冷凍庫まで支援できれば、いよいよアンゴラのおいしい魚が日本に運ばれてくる日も近いと思っています。そうすれば、アンゴラは外貨を獲得し、その外貨で教育や民生の政策を充実させることができる。自立に向けた一歩になるのではないかと思っています。
その後、エチオピアに戻り、隣のエリトリアに行きました。エリトリアはエチオピアから独立した、ということもあり、二つの国は似ています。ともに、古代からの王国であり、いまなおエチオピア正教という由緒正しいキリスト教を信仰しているようです。かつての王様、あるいは国民はイスラエルのソロモン王の子孫だとか。そんなことが言われているほど、自国に誇りを持った国民の国です。アフリカでは唯一の文字を持った文化を持つ国でもあるようです。エチオピアは、人口が多く、多くの可能性を持った国です。エリトリアは、人口は少なく独裁政治ですが、その分治安は非常に安定している印象でした。ともに、アフリカの東の玄関として、また歴史的に地中海諸国のとのつながりが多いことから、アフリカとヨーロッパ、南西アジアを結ぶ機能が高まれば、大きな発展をすることができるでしょう。日本としては、水道の支援や電力の開発など、さまざまな期待にこたえなければなりません。また政治がさらに安定し、水質・電力が安定してくれば、日本企業の進出も十分可能だと思います。日本とビジョンを共有し、私たちも積極的に支援して、彼らの望む発展を手助けしてゆきます。
仕事を終えて、今度は仁川経由で日本に帰国しました。アフリカに行っていつも思うのは、豊かで文化的に成熟した日本に生まれた喜びです。私たちはこのことに感謝しつつ、まだ恵まれない状態にある国々への支援を惜しまないことです。日本は古い昔から豊かであったので、豊かさや実りを独占しようとはしてきませんでした。おすそ分けという言葉は、豊かであるから生まれた言葉です。毎日毎日アフリカや途上国のことを考える必要はありませんが、時々、それらの国々に思いを寄せていただきたいと思います。いまだに生まれた子供の半分が、一才を迎えられずに死んでしまう国がたくさんあります。少しのけがや病気で、薬も知識もないため死んでしまう国があります。近い民族同士で殺し合いをし、子どもたちが巻き添えになって死んでいく国があります。食べ物が足りず、奪い合いの末多くが餓死する国があります。それらの国を日本としてどう支え、どう発展するのを手伝えるか、私たちの経験を知恵として伝えられるか、ほんの少しでいいので考えていただければと思います。また力を持っている方や、情熱のある方には、そのお手伝いをいただきたいと思います。私も皆様から選んでいただき、応援していただいている国会議員として、皆様に代わってアフリカへの支援の最前線に立ってまいります。これからも、皆様からのご指導や激励をいただきたいと思います。