大岡敏孝 Official Site

大船渡へ

22日は、大船渡へ向かいました。
大船渡は浜松市が集中支援している都市で、古くから漁港として栄え、最近は太平洋セメントなどの工場や魚類食品加工会社、木材加工会社も進出しています。

大船渡の中心部、つまり港に近いエリアは、目を疑うような光景でした。
まるで戦争のあとです。

近くに木材加工工場があったせいで、商工会議所のビルには木材が多数突き刺さっていました。
また、木材が浮遊したせいで破壊力が増したせいか、高い建物もかなりの強度で破壊されています。

津波の怖さは、まるで洗濯機の中にがれきを混ぜてかき回したように破壊される事です。大船渡は木材や船があったせいで、こうした効果がさらに強くなってしまったのでしょう。

それと、「明暗を分ける」という言葉がふさわしい状況がありました。
それは、高さがちょうど15メートルくらいを境に、下は壊滅状態、上は何の被害もない、という状況になっている事です。

大船渡は低い地域に町が広がり、そこから山に向かって上がってゆく地形なので、顕著に表れています。

大船渡が良かったのは、過去に市役所を高台に移設したおかげで、何の被害も出なかった事です。役所が生きているのと壊滅しているのとでは、大きな違いです。
それともう一つ、太平洋セメントを持っている事です。
セメント工場はたくさんの熱を必要とするのですが、このキルンでいろんなものを燃やす事が出来ます。ですから、今回発生した大量の木材やプラスチックなどをこの工場で燃やす事が出来るのです。(ただしそのためにはしっかりと分別しなければなりませんが・・・)

浜松市は、市長選がなかったことで、康友市長がすぐに復興支援に取り掛かる事ができました。
そのため、初動が非常に良くて、大船渡でも他市に比べて踏み込んだ支援をしています。
大船渡からも、高い期待と信頼を寄せられている事が分かりました。

康友市長らしい現場主義を徹底して、期待にこたえる復興支援を展開してもらいたいと思います。もちろん、私個人も、静岡県も、全力でバックアップしてまいります。

で・・・写真は、大船渡の住宅街に突っ込んだ船のそばで、桜がきれいに咲いていました。
自然と言うのは・・・非情なものですね。