安倍先生が凶弾に倒れる
安倍元総理が凶弾に倒れられました。国民に向かって政策を訴え、国民からの信任を得るための参議院選挙の最中に、銃器によって政治家を殺害するなど、絶対に許されることではありません。言論による政治を暴力で排除しようとする行為に対し、強く強く抗議します。安倍先生もこのような形で突然殺害され、政治生命も自分の余生もすべて壊されてしまい、本当に無念だったと思います。心からご冥福をお祈りいたします。また、昭恵夫人の悲しみも察するに余りあります。
昭恵夫人と初めてゆっくり話をしたのは、「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」の場でした。他に議員がいなかったこともあり、いろいろな話をさせていただきました。私の意見もよく聞いていただき、本当に明るく朗らかで心優しい女性です。あの昭恵夫人をこんな形で悲嘆のどん底に落とすなど、絶対に許せません。
今回の事件は、いろんな油断やミスが重なって起きたのではないか、とも思っています。二度とこのような惨事を起こさないためにも、しっかりと検証・反省しなければなりません。演説のやりかたや場所、警護の体制、警護はじめ関係者の動きなど、課題が見つかると思います。一方で、担当者や責任者を処分・左遷して終わらせてはなりません。安倍先生は、なんと言っても『再チャレンジ』の人でした。ご自身も失敗をばねにして再チャレンジを果たされましたし、国民の再チャレンジを様々な場所で応援してこられた方です。今回、警察官をはじめ事件に居合わせた多くの皆さまも、失敗や落ち度含めて多くの経験をされたと思います。それを活かして再発防止を進めるためにも、安倍先生が唱えてきた再チャレンジの考えの下、警察官や党関係者は経験を共有し、より良い社会のためにこれからも務めを果たしていただきたいと思います。
安倍先生との思い出は、たくさんあります。忘れられないのは、私が衆議院選挙に出る年、つまり2012年の3月だったか4月だったか、仲間の若手議員がたくさん集まって、これからの政治の形を議論した集会がありました。国会の会議室を借りて開催し、そこに当時は総理でも自民党総裁でもない、野党(当時は民主党政権)の、いわば無役(厳密には何か役についておられたと思いますが)であった安倍晋三先生を講師としてお招きしたのです。
その時の安倍先生は、切れ味抜群でした。「いまの日本の政治に強い危機を感じている君たちの思いは良く分かった。私も同感だ。しかし、こんな国会の会議室に集まって議論して、何が変わるというのか。こんなことをしている場合ではない。君たちは若く、そして思いがあるのなら、行動しろ。もう衆議院の解散総選挙は近い。出られるところから出ればいい。どの党でもいい。自民党じゃなくても全然かまわない。もう準備を始めようじゃないか。私も行動する。みんなで行動しようじゃないか。出られる者は出る、応援する者は応援する。そして一人でも多く仲間を国会に送って、それからもう一度集まろう。話はそれからだ。」という趣旨の演説をされました。ほかにもいろいろお話になったと思いますが、私の脳裏には今の話が焼き付いています。
その後、確かに安倍先生は行動されました。なかなか解散にはならなかったのですが、そのうち9月に自民党の総裁選挙が行われました。安倍先生は派閥の反対を押し切って出馬。失敗したら後がない、まさに捨て身の行動だったのだと思います。一回目の投票で2位、議員票でも党員票でも2位でした。(ちなみに議員票1位は石原伸晃先生、党員票1位は石破茂先生でした。)そして迎えた決選投票で勝利をもぎ取り、野党である自民党の総裁に就任されることになりました。その後、政権交代から安倍長期政権になる経過は、皆さんご存知の通りです。「あ、あの時に私たちに言ったことを、ご自身も実践されたんだ」と思ったことをよく覚えています。捨て身の勝負に勝ったのだと思いました。(あの時負けていたらどうなったのだろう、と想像したくもなります。)
ほかにもいろいろな思い出があります。持病の潰瘍性大腸炎の特効薬だということで、滋賀県自慢の鮒ずしや、鮒ずしヨーグルトを届けたことがあります。なんとも言えない、まずそうな、酸っぱそうな顔で鮒ずしヨーグルトを食べる写真を送っていただきました。いつもユーモアがあり、目下の私たちに対する優しさをもった政治家でした。
亡くなられたことが今でも信じられません。言葉も出ません。今日(7/10)、参議院選挙の投票を済ませてから、大和西大寺に弔問に行きました。同じような思いの国民の皆様が本当に驚くほど駆けつけておられて、500メートルはあろうかという長蛇の列になっていました。私は自宅の花壇に咲いた花を切って、それを安倍総裁時代のマニフェストに包んで花束を作り、献花してきました。
賛否両論ありますが、はっきりとした意見や主張を持った政治家でした。私もその姿勢を見習いたいと思います。いつもユーモアを持った政治家でした。私もそうありたいと思います。凶弾に倒れ、突然人生を終えるべき人ではありません。本当に残念でなりません。どうか安らかにお眠りください。