農山村地域を回る
今日までの3日間、滋賀1区では一番の田舎(と言うと叱られますので、一番の農山村地域)である高島市を回りました。
もう、いつ解散があってもおかしくない状況なのですが・・・どうしても選挙が近くなると都市部である大津市に引っ張られますので、時間がある今のうちに高島市を回っておこうということで、泊りがけでじっくり行ってきました。
回ってみると・・・支援者の皆さんも温かく、また日本の原風景を見ているようで、リラックスできます。ふと思い出してみると・・・私の生まれ故郷である土山町に似ているんですね。だから落ち着くのか・・・と合点がいきました。
しばらく走って数件の集落、しばらく走って数件の集落・・・の繰り返しです。効率が悪いと言えばそうなりますが、私は選挙は効率だけでするものではないと思っていて、回りながら地元の人たちの意見を聞くことは、非常にためになります。
驚いたのは・・・というか、当然だし、むしろ田舎だから、かえってテレビのニュースや新聞を良く見ているからなのでしょうが、「このままあと数年間も民主党政権が続いたとしたら、日本は沈没する。私はもうすぐお迎えが来るが、それでも次の世代のことを考えると、ぞっとする。何としてでも、新しい政権をつくって、日本を立て直してほしい。」ということを、切々と訴える方が多い事です。まるですがられるように懇願されることもあります。
私はそのたびに、すこし申し訳ない思いにもなります。それは、私も自民党の一員でありながら、「果たして今の自民党に、日本を救う真の力があるか?」ということに、一抹の疑問があるからです。私も多くの議員さんを見てきましたが、自民党には本当に国を思い、国のために命を捨てても良いと思っている国士がたくさんいます。その一方で、自分のこと、自分の選挙のことしか考えられないような、とても先輩として尊敬するに値しない議員さんもいて、そういう人が重い役に就いた場合には、民主党と大して変わらない結果しか出せないのではないかと思うからです。
まさに、3年にわたる民主党政権がのたうちまわった挙句、末期症状を迎えたことで、日本は国難を迎えています。こういう時には、実は民主党とか自民党とか、そういう狭い視野の話ではなく、もっと大きな意味で、若い世代がそれぞれの思いを遂げるための行動に移すべきだと思っています。その末に、思いを同じくする人たちが集まると言う、自然な形での政治勢力が生まれるのではないでしょうか?明治維新も倒幕だの攘夷だのと言っていながら、最後には明治政府として団結し、新しい世代が活躍をしました。実は自民党も、戦後に力強い政治勢力をつくるために、国民政党として団結して生まれた歴史があります。
そんなことを思いながら、一軒一軒の方々のご意見を聞いて回りました。若手の自民党として、多くの期待を感じました。それらの期待によって勇気づけられましたし、同時に「必ずや勝って、日本を立て直さなければならない」と強いプレッシャーも感じました。
さて・・・写真は、鯖街道です。いまは鯖街道と言うと、国道303号線から367号線に至る道をさすこともあるのですが、写真の道が本物の鯖街道です。これは、若狭湾でとれたサバを、サバは足が早いのでその場で塩をして、この道を歩きながら京都に来ると・・・ちょうどよく塩が回って食べごろになっている、ということから名付けられたとのこと。サバに限らず、京都と北陸を結ぶ交易ルートだったのです。
こうした歴史のある街道も、いまや限界集落になっています。こうした地域をどう残し、どう守るか、これは国政を担う若者が決して忘れてはならない課題だと思っています。おじいちゃんやおばあちゃん、一人一人の思いを受け止めましたので、何としても政策に反映させたいと思っています。