国会が閉会
しばらくブログの更新を忘れておりました。
昨日、約6ヵ月間の国会が閉会しました。先輩議員は、「今年の国会も忙しかった」とおっしゃっていましたが、去年の通常国会が長かったせいか、私にとってはあまり長くは感じませんでした。
ただ、法案審議は本当に忙しくて、特に私が所属している委員会のうち、内閣委員会は盛りだくさんの内容でした。
幹部公務員の人事を一元化する「内閣人事局」や、いわゆる日本版NIHと呼ばれる「医療研究開発機構」、たくさんある独立行政法人のルールを見直しする独立行政法人通則法、原子力委員会など、ぱっと思い出すだけでも多くの法律を審査し、通すことができました。
とりわけ、内閣委員会は、内閣官房長官をはじめとする所管大臣が最も多い委員会で、政府の大きな動きやトピックに関した法案審議が多く、全体の動きをとらえられるという特長があります。私たち、一期の議員が入って仕事を覚えるには、非常に良いポジションだと感じています。
安倍内閣の特徴は、とにかくスピードを重視しているということです。野党の議員さんの中には、「何をそんなに急いでいるのか!」という人が多いのですが、これまでの政治のスピードと比較するから遅いと感じるのであって、民間企業だと、当たり前です。最低でもこのくらいのスピードで仕事をしてゆかなければ、世界の市場はおろか、日本の市場であっても勝ち抜くことはできません。私としては、月曜日から金曜日までが充実していることに、何といってもやりがいを感じています。とりわけ内政に関する積み上げられた課題については、スピード感を大切にしながら、やるべき仕事をしっかりと進めてゆきたいと思っています。
一方で、集団的自衛権など、外国との外交や、安全保障の体制作りにかかわるもの、また、自国民に対しても、自衛隊の行動原理を見直すことで、国際貢献や防衛出動のあり方が変わる、つまり日本の行動のあり方が変わるものについては、しっかりと説明責任を果たさなければならず、国民への理解と浸透が必要であることから、これはじっくりと議論するべきだと思っています。
ここで、いろんな立場の方から「国会の議論をしないのに閣議決定をするとは何事か!」というお叱りをいただきますが、これは構造上仕方のない話で、閣議決定をしなければ、原案を作れないからです。閣議決定をして、政府としての考え方や理解を一致させて、そして各省庁が連携して自衛隊法やPKO法の原案の作成にあたり、その原案をもとに国会で審議をし、修正すべきは修正し、最後には賛否を問うというのが、審議の流れです。ですから、閣議決定をしない、つまり政府の方向性を一致させてないのに国会審議をやってしまったら、それはバラバラの答弁になりかねません。憲法の理解も一致していないのに、各省庁は、原案をつくることもままなりません。だから、構造上、まず政府の見解を一致させるために閣議決定を必要とするのです。
そのうえで、私は国会の議論は、しっかりと時間をかけて、いろんな事例を想定し、それに対する外国の行動も想定し、国民への説明責任を果たしながら、議論の過程で修正すべきところは修正しながら、日本の安全保障のあり方を深めてゆくべきだと思っています。そもそも、時代も変わり、国際情勢も変わり、日本に対する脅威の形も変わり、日本に対する期待も変わっているのに、昔ながらの法律をかたくなに守るというのは、国会が仕事をしていないということになります。それにそもそも、私たちの憲法が、国民を守ることを妨げているようなものではないと思いますし、国際貢献をしている中での民間人の保護を妨害しているものではないと思います。逆にいえば、憲法が、有事であっても日本の国民を守ってはいけないとか、日本人を保護してくれている人たちを守ってはいけないとか、民間人、女性や子供が銃撃をされて次々に殺されてゆくのを見殺しにするべきだなどと、日本政府に要求しているとは思えません。そんな憲法であれば、一体だれのための憲法か?ということになってしまいます。
もちろん、私たちが連立を組む公明党さんは、その設立の背景から、平和の党であり、民衆の党です。ですから、公明党を支持する人たちの思いは、私もよくわかります。平和の視点から、民衆の立場から、公明党と良い意味での「妥協点」を見つけ出す作業が必要となりますが、これはしっかりとやってゆかなければなりません。これはまるで、夫婦の会話にも似ているところがあって、必ずしもお父さんとお母さんの意見は一致しませんが、強いお父さんと、やさしいお母さんが議論して、折り合った答えと言うのはバランスの良いものになります。この議論をしっかりとやる必要があります。
7月には閣議決定をすると伺っていますが、「国の幹部レベル」の議論の身ではなく、私たちは私たちで、地元や現場に入り、多くの皆さんとしっかりと議論してゆきたいと思います。上とか下とかはありませんが、国民的な議論が必要なテーマであることは事実です。そのうえで、さらに国会での審議を深め、それを国民に周知し、意見を聞き、いずれかの時点で総選挙によって国民の審判を仰ぐ必要があると考えます。
「今後の安全保障と国際貢献の在り方を争点に、解散総選挙!」とか言っていると、与党なのに解散に言及するとはけしからん、などということを言う人もいますが、私はそうは思いません。選挙って、国民の審判を仰ぐ、国民に決めてもらう作業です。選挙を経て、選んでいただいているので、私たちの言うことを国の官僚や地方公務員も聞いてくれるわけであり、国民全体への奉仕者である彼らは、選挙を経たことによって、私たち議員を国民の代表者と「みなして」くれているんです。この「みなす」作業を重ねることで、日本政府、あるいは地方自治体の行政権がつくられてゆきます。そこには常に「民主主義」を意識し、そのルールにのっとって「統治するための権力構造」をつくってゆくわけです。
特にこの、安全保障の議論は、「日本の行動ルール」を変えるものです。これまで防衛出動できなかった事案に自衛隊を出す、あるいは国際貢献の幅を広げる、ということですから、国民の期待にこたえるチャンス、世界の評価を得るチャンスが増える一方で、戦闘に巻き込まれるリスクは拡大します。当然、死亡する自衛隊員が出る可能性は高まります。もちろん一方で、こうした行動をとらなければ、丸腰の民間人は自衛隊員の数倍あるいは数十倍、数百倍殺される可能性がありますので、本来の役割を果たせるようになるのも事実です。これらのことは、「日本の行動原理を変える」ことである以上、やはり解散総選挙を行うことにより、私たちは国民に説明し、国民の判断を仰ぐべきです。こうした判断が何度も積み重ねられ、そしていろんな事例、それは良い事例も不幸な事例も含めて積み重ねられ、その都度国民の判断を仰ぐことにより、国政は前進するものだと考えます。
私は、常に選挙を恐れず、選挙を忌み嫌わず、むしろ国民の声を聞く前向きの政治行動としてとらえ、いつでも占拠してもらえるように日々の努力を重ねたいと思います。
この週末から、滋賀県知事選挙の準備になります。国会の後半は、候補者の発掘、選定に始まり、選挙準備をしながら国会活動をしてきましたが、いよいよここからは「地元張り付き」で滋賀県知事選挙に臨みます。選挙の話については、またあらためてさせていただきます。