中国を訪問
先週の土日を利用して、二階代議士を団長とした3000人を超える訪中団に参加しました。
国会の日程の関係で、土日しか時間が取れなかったため、弾丸ツアーとなってしまいました。土曜日の朝の7時に羽田をたち、日曜日の夜8時に羽田に戻ってくるという日程です。
北京にはお昼に到着して、いきなり大使館に直行しました。大使館では「ようこそ日本」のキャンペーンをやっていて、日本のバイク、日本の化粧品、日本のカップラーメン、日本のお酒、日本のヤクルト・・・中国の国民から見てクールと思われる日本の様々な商品を展示していました。バイクのコーナーでは、日本メーカー4社が出展していて、私のスズキ時代の先輩が北京の社長としてお見えになっていました。また、ホンダ、ヤマハ、カワサキの皆様からもお話を伺いました。化粧品のコーナーでは、資生堂やカネボウといったブランドは中国でもかなり浸透しているらしく、中国の女性たちの人だかりができていました。
例えば日本のバイクは、第二の外交官とも言われていて、全世界で活用され、日本の高品質のモノづくりを先進国から途上国まで確実に伝えてくれています。化粧品も、日本にあこがれ、日本のファッションをまねようとする女性たちを世界中に増やしています。日本の外交官だけではなく、日本の民間人が、日本らしい礼儀正しさ、日本の高品質の製品とともに世界に出てゆくことで、日本の良いイメージが広がり、日本の国益にかなうものだと思います。とりわけ中国のように、過去の歴史において難しさのある国、また政治体制が違い、その政府や報道が必ずしも今の日本の姿勢を正確に伝えていないとすれば、こうした民間レベルの外交活動によって、中国の国民が日本に対して感じる思い、良い印象というものを確実に浸透させてゆかなければなりませんね。
それからは、要人との面会、10月に行われる予定のNHK交響楽団の北京公演の契約式などを済ませ、夜の日中交流の晩さん会に参加しました。
晩さん会では、「ひょっとしたら?」と思っていたのですが、期待通り習近平国家主席が出席され、演説をされました。さすがに歴史認識についてはチクチクと言っておられましたが、全体としては友好的な感じで、日本との対話を進めようとする姿勢が見て取れました。それにしても・・・大きいですし、大きく見えます。15億人の国民、広い国土、長い歴史を背負っているという自信と責任感に満ちているからでしょう。実際の大きさよりも、ずっと存在感がありました。さすがに私は言葉を交わすことはありませんでしたが、いつか実力をつけて、こうした立場の方とも忌憚なく、腹を割って、言うべきことを言い、しっかりと話し合えるようになりたいと思いました。
その日は疲れ果ててコロンと寝て、翌日は朝7時から故宮を見学しました。早朝の故宮は人が少なくて、ガイドさんもいたので、ゆっくり落ち着いて見て回ることができました。
日曜日のお昼も要人との会談があり、私も中国の自動車政策、二輪車政策について意見を申し上げ、先方からは検討を指示するとの返事をいただきました。それが終わったら空港に直行し、そのまま羽田に帰ってきました。日本についたら、ほっとしたのと、北京に比べて空気がおいしいのと、ご飯がおいしいのと・・・疲れも出て、スカッと寝てしまいました。
一泊二日の強行軍でしたが、いろいろ考える機会になりました。現在も、日中関係は必ずしも良好とは言えません。経済のやりとり、政治のやり取りの間に、どうしても過去の歴史の問題が顔を出してきます。経済の問題は経済人が、政治の問題、政策の問題、民間や経済活動のプラットフォームの問題などは政治家が、過去の歴史の問題は歴史家がそれぞれ担うべきだと思いますが、現状ではそうなっていないのが日中関係です。しかし習近平氏も言っていた通り、隣人は変えられるが、隣国は変えられません。それに、大きな国です。また、長い歴史を持ち、私たち日本も多くを学ばせていただいた国です。それが80年ほど前に日中の間には悲しい歴史があり、もちろん私たちの世代には記憶も何もありませんが、それがいまだに両国の間に横たわっています。戦争はそれぞれの国の指導者の、何らかの判断の誤りや驕り、すれ違いなどがあって発生するものなのでしょうが、一般の人たちは、妻を思い、両親を思い、子供を思い、まっすぐな思いで死んでいった方々も多くいらっしゃいます。そうした点から、あの戦争を「悪い戦争をした」というわけにはいきません。守ってもらった私たちが、悪い戦争をやらかしてくれた、なんて言ったら、私たちを思って亡くなった方は浮かばれません。当時の指導者には、歴史家の評価があり、賛否もあると思いますが、亡くなった多くの国民、先人たちには手を合わせるというのが日本人として、後進としての姿勢だと思っています。もちろん、先方の立場も理解しなければなりません。祖父や祖母を日本人に殺されたという中国の方は多いでしょう。その人たちの思いは、私たち以上に強いものがあるということは、必ず理解しようとしなければなりません。
残念ながら、今の私たちに、過去は変えられません。変えられるものなら変えたいけど、出来ないのです。だとすれば、今できることは、お互いを理解しようとする姿勢であり、これからのことを語る熱意であり、さらに若い青年たちの世代に託す希望なんだと思います。毎回毎回、何十年も何百年も謝りつづけることでは、ないのではないかと思います。先方も本音ではそんなことはわかっていると思います。ただ、まだ友好的とは言えない状況の中で、そう言ってしまう、そうなってしまう、ということも、私たちは理解しなければならないのではないでしょうか。
これは、人間同士の関係と同じで、友好的になれば、そんなことは言わなくなるのではないでしょうか。まだ友好的と言えないから、相手のちょっとした行動も悪く取ってしまったり、言っても何もならないこと言ってしまったり・・・こうしたことは、私もしばしば「はっ」として反省することがあります。それと同じなのかもしれません。
ある程度時間が必要なこともあるでしょうが、日中関係の改善、歴史問題うんぬんで政治も経済も影響を受ける状態の改善は、私たちの世代に課せられた使命であり、責任だと思っています。政治家が未来のことを語り、経済人がウインウインの関係を作り、歴史の真実については歴史家の議論に任せるという、そんな関係を築けるよう、私は日本人らしい姿勢、徳と分別をもって、実直さと誠実さをもって、矜持と謙譲をもって、中国と向き合ってゆきたいと思います。日本人がそうした日本人らしい姿勢で接することで、中国の国民に対しても、何かを伝え、何かの変化を促し、それがともすれば行儀が悪いと思われている中国の国の姿勢を変えることにつながるかもしれません。
日本人として、日本人らしく、諸外国に向き合う外交ができるよう、さらに人間力を磨きたいと思いました。