大津いじめ自殺問題
連日、新聞およびテレビで盛んに報道されているのが、大津市で昨年発生した、市立中学校でのいじめ自殺事件です。事件は昨年の出来事だったのですが、一回目の口頭弁論が終わってからしばらくして、「自殺の練習をさせられていた」ということが報道されると、にわかに全国レベルのニュースになりました。
私が大津に引っ越したのが6月はじめでしたので、来てしばらくはこの事故のことを知りませんでした。全国的な話題になってから、あわてていろいろと調査したわけです。いろんな方に「いったい何なの、これ?」と聞かれるのですが、数分でまとめて話をするのは難しい事件です。
市長も何度もテレビや新聞にコメントを出しておられるのですが、一生懸命にやっているのはよく伝わりますが、まだまだ経験不足なのか、市の幹部も対応に苦慮しているのか、落ち着いて政治家としての対応を決めてもらいたいと思っています。いろんな事実が出てくるので、意見が変わるのはやむを得ないと思いますが、「まずは事実の解明」と言って、市で調査委員会を立ち上げると言うのは、政治家の危機対応としては不十分だと思っています。というのも、警察が動いた以上、事実の解明は警察か裁判所に任せるべきです。事実だの真実だのと言っていれば、3年はかかる。今、この時間にも発生しているかもしれないいじめ問題への対策をきめるのに、そんなに待っていられません。政治家なら、おおまかな事件の全貌が見えている以上、何と言ってもまず対応するべきは「未然防止」「つぎの被害者、犠牲者を何としても止めること」ですから、即応した政策を打ち出さなければなりません。なんなら緊急に補正予算を組んで対応してもいい。市議会の皆様は受けてくれると思います。まさにそういう対応を即断するための委員会を立ち上げて、集中審議して答えを出すべきです。
まさにこうした局面では、政治家の危機対応能力が問われます。こうした問題は、与野党ともに協力するのが当たり前ですから、リーダーシップを発揮して、まずは即効性のある対応を矢継ぎ早に出し、それから先は「市長はどうしたいのか」という政治家としての思いにまっすぐに、教育委員会改革、教育現場の改革を進められればいいと思います。事実だとか真実だとかは、どうしても時間がかかるので、警察と裁判所に任せて、政治家は「どうしたいのか」という事をやりぬくべきです。
で、いったいなぜこうした問題が起きたのか、ということですが、まずいろいろ調べてみると、事実かどうかわからない点が多いですし、断言することは難しいですね。加害者の子どもが悪い事は言うまでもないのですが、その親はどうなのか、先生や学校の対応はどうなのか、あるいは被害者の家族はどうだったのか、未確認情報が多すぎて、ホームページなどでは書くことができません。ただ、一つ言える事は、誰が悪いのか決めるのは政治の仕事ではない、ということです。
政治は「未然防止」「早期発見・早期対応」「情報の徹底した公開」ということに絞って、まずは短期的な対策、そして中長期的な対策を打つべきだと思っています。短期的な対策としては、何と言っても市内・あるいは県内の全校の徹底したチェックですね。今回、市教育委員会ばかりが前面に出ていますが、県教育委員会も他人事ではありません。むしろ、教師の人事権を持っているのは県ですから、県にも相当の責任があります。市だけではマンパワーにも限界がありますから、県と市が共に責任を感じ、徹底した全校チェックを行うべきです。それもすぐに。
それから、「早期発見・早期対応」については、本当にその体制が出来ていたのか、疑問に思うべきです。そもそも、学校と言うところは、その閉鎖性とか隠ぺい体質とかもあるし、モンスターペアレントに過敏になっていることもあるしで、基本的に「いじめ」を認めたがらない。だからいまだに「いじめの定義に合わない」とか「関連があるとは言えない」とか、役人よりもひどい言い逃れをしているのです。これだけいじめがあるといわれても、「いじめの定義にあわせると」いじめのかずが減っているとか言いだすわけです。だからその体制を疑わなければなりません。教育委員会の言う「いじめ」の定義が正しいのかどうか。早期発見したら評価されるのか、それともいじめのある学級として評価されないのか。評価されないとしたら、多くの先生が隠すでしょう。早期対応したら、先生は評価されるのか。学校全体で協力して対応しようと言うインセンティブはあるのか。こんなことは本来「先生の良心」を信じて、そこに訴えなければならない事ですが、残念ながら体制とか仕組みと言うものを考えるときに、「先生の良心」を前提にしたら、その仕組みは機能しないものになります。機能しないと、また一人子どもが犠牲になると言う事です。だから、仕組みづくりの時にはドライに物を見て、やらないといけない。結果としては、そのほうが子どもの命や立場を救う事になるのです。政治は人を信じることが前提ですが、こういう仕事をする時には使い分けないといけませんね。
それから情報の徹底した公開です。これは教育委員会が一番苦手で、一番いやがることでしょう。なかでも一番嫌がるのが、教職員組合、先生たちの労働組合ですね。こちらは、先生は労働者だから団結する、学校は労働者の職場だ、などと言いながら、聖職者・師としての無謬性や高尚さを維持しようとする、自己矛盾に満ちた部分があります。だから、いろいろ隠したがるんですね。これは、全国的な問題でもあります。
私はそもそも、この、「いまだに戦後から脱却できないもののひとつ」である日教組のあり方が、大きな問題だと思っています。もともとは日教組はアメリカが作りました。これは、第二次大戦に至った日本人の姿勢が戦前の教育にあるとして、それを民主化するとかいって、アメリカが日教組をつくったのです。その後、戦後に共産主義・社会主義が勢いを増してきたところ、アメリカは方針転換し、日本も保守合同があって保守化・資本主義化していったのですが、時すでに遅しで、当時のインテリであった先生たちの一部がかぶれて、どんどん左傾化していったのです。そういう意味では、日本を占領した当時のアメリカの狙い通り、いまだに日教組は日本人が本来持つ教育観や道徳観を壊す役目を果たしているのです。いまの民主党の幹事長である輿石さんを筆頭に政治力を発揮している日教組が、この左傾化している日教組が、アメリカの戦後当初の計画線上を律儀に動いていると言うのは、まあ悲劇のような喜劇のような話ですね。
その、まさに日教組の影響だな、と、先日の大津市議会を傍聴して感じました。それは、この学校が、滋賀県で唯一の「制服を廃止した学校」と言う事です。それは、生徒会が主導して、生徒たちの自治だということで、制服の廃止を勝ち取ったと。これ、まさに共産主義者の言いそうな事です。中学生がまさかそんな事を言わないので、当時の先生か、親の中のそういう人がレクチャーして、オルグして、そのように持って行ったのだと思います。おそらく学校側が支配者で、生徒は被支配者で、その被支配者が団結して何かを勝ち取ると言う、共産主義革命の夢を見たのでしょう。
市議会でもこのことが取り上げられましたが、教育長は「生徒の自治と言う事で始まった事なので、制服を復活すると言うのは、学校側、教師、親、生徒の意見を聞いてみないとわからない」と述べました。ここにも「生徒の自治」「生徒の意見を聞かないと」なんて言っているんですね。教育長まで・・・と思いましたが、それだけ日教組の影響が強いと言う事でしょう。ちなみに、この教育長は、この事件が起きた学校の校長先生経験者です。まあ、これまた教育委員会の閉鎖性なのですが、教育長になるための出世ルートと言うのが決まっていて、だいたいこの中学校の校長を経験し、大津少年センターの所長を経験し、そして教育長になって退職と言うのが、教員トップの出世ルートだとか。もちろんそのためには日教組と折り合いをつけないといけないし、いろんな妥協もあるのでしょう。閉鎖的な社会ですから、妥協なしでは上に上がれません。そうしたことを重ねながら、体質化してきたものと思います。
まあ、他にもいろいろ書きたい事はあるのですが、とにかく中長期的な対策として、体質改善をしなければなりません。いろんな問題が出てくるのは、当面の対策、弥縫策だけではだめなのです。例えば、肩こりがひどい、と言う時に、アンメルツを塗るだけでは何度も再発します。原因は、というと、背骨が左曲がりに曲がっている事なので、それをまっすぐにしないと、何度も問題が再発すると言う事です。
これらのことは、大津だけの問題ではありません。残念ながら、大津で吹き出してしまった。一人の子どもが命を自分で絶ってしまった、という、本当に悲しい結果になりました。何としても、大津から教育改革を始めなければなりません。そうしないと、この子は浮かばれない。私が大津に来たタイミングでこのような事件が起きたといことは、私にその仕事をやれ、と言われているのではないか、とも思っています。
民主党政権では教育の世界にもバラマキを持ち込みましたが、いくらばらまいても、教育のレベルは上がりません。子どもたちの道徳心も涵養されません。先生を増やせ!などと叫んでいますが、ダメな先生を何人増やしても何の意味もない。いじめの見落としが増えるだけです。そんなことより、先生の仕分けをしっかりとやってゆかなければならない。先生は労働者ではありません。「教師は労働者だ!」と高らかに叫んだことが、日教組のそもそもの間違いです。教師は労働者ではなく、先生です。学校は労働者の職場ではなく、子どもたちが立派な大人になるために学ぶ場所です。まず、この二つをしっかりと定義しなければならない。
その上で、では、それぞれの教師は、先生と言われるにふさわしいのかどうか、ということで選別しなければなりません。おかしい先生、指導力のない先生に習う子どもほど、不幸な事はない。これは、下手すると取り返しのつかない事になります。教師は先生であるから、先生としてふさわしい人にやってもらう。この、民間企業でも当たり前のことを、教育の場で、というかむしろ、教育の場だからこそ民間企業以上に、しっかりとやってゆかなければなりません。
これははっきりと断言しますが、今の民主党、日教組のボスが幹事長として仕切っている民主党には、絶対に教育改革はできません。むしろどんどん悪くなる。日本人の能力が奪われてゆくと思っています。ここは、新しい自民党が、心を入れ替えてもう一度国民政党として再起動した自民党が、やるしかないと思っています。私もこれまで地方議員として、教育現場のさまざまな問題を見てきた立場として、この教育改革、具体的には教育委員会改革と教師改革について、何としても進めてまいります。それが、大津市を選挙区として立つ私の使命でもあると思っています。