大津いじめ自殺問題
連日、新聞およびテレビで盛んに報道されているのが、大津市で昨年発生した、市立中学校でのいじめ自殺事件です。事件は昨年の出来事だったのですが、一回目の口頭弁論が終わってからしばらくして、「自殺の練習をさせられていた」ということが報道されると、にわかに全国レベルのニュースになりました。
私が大津に引っ越したのが6月はじめでしたので、来てしばらくはこの事故のことを知りませんでした。全国的な話題になってから、あわてていろいろと調査したわけです。いろんな方に「いったい何なの、これ?」と聞かれるのですが、数分でまとめて話をするのは難しい事件です。
市長も何度もテレビや新聞にコメントを出しておられるのですが、一生懸命にやっているのはよく伝わりますが、まだまだ経験不足なのか、市の幹部も対応に苦慮しているのか、落ち着いて政治家としての対応を決めてもらいたいと思っています。いろんな事実が出てくるので、意見が変わるのはやむを得ないと思いますが、「まずは事実の解明」と言って、市で調査委員会を立ち上げると言うのは、政治家の危機対応としては不十分だと思っています。というのも、警察が動いた以上、事実の解明は警察か裁判所に任せるべきです。事実だの真実だのと言っていれば、3年はかかる。今、この時間にも発生しているかもしれないいじめ問題への対策をきめるのに、そんなに待っていられません。政治家なら、おおまかな事件の全貌が見えている以上、何と言ってもまず対応するべきは「未然防止」「つぎの被害者、犠牲者を何としても止めること」ですから、即応した政策を打ち出さなければなりません。なんなら緊急に補正予算を組んで対応してもいい。市議会の皆様は受けてくれると思います。まさにそういう対応を即断するための委員会を立ち上げて、集中審議して答えを出すべきです。
まさにこうした局面では、政治家の危機対応能力が問われます。こうした問題は、与野党ともに協力するのが当たり前ですから、リーダーシップを発揮して、まずは即効性のある対応を矢継ぎ早に出し、それから先は「市長はどうしたいのか」という政治家としての思いにまっすぐに、教育委員会改革、教育現場の改革を進められればいいと思います。事実だとか真実だとかは、どうしても時間がかかるので、警察と裁判所に任せて、政治家は「どうしたいのか」という事をやりぬくべきです。
で、いったいなぜこうした問題が起きたのか、ということですが、まずいろいろ調べてみると、事実かどうかわからない点が多いですし、断言することは難しいですね。加害者の子どもが悪い事は言うまでもないのですが、その親はどうなのか、先生や学校の対応はどうなのか、あるいは被害者の家族はどうだったのか、未確認情報が多すぎて、ホームページなどでは書くことができません。ただ、一つ言える事は、誰が悪いのか決めるのは政治の仕事ではない、ということです。
政治は「未然防止」「早期発見・早期対応」「情報の徹底した公開」ということに絞って、まずは短期的な対策、そして中長期的な対策を打つべきだと思っています。短期的な対策としては、何と言っても市内・あるいは県内の全校の徹底したチェックですね。今回、市教育委員会ばかりが前面に出ていますが、県教育委員会も他人事ではありません。むしろ、教師の人事権を持っているのは県ですから、県にも相当の責任があります。市だけではマンパワーにも限界がありますから、県と市が共に責任を感じ、徹底した全校チェックを行うべきです。それもすぐに。
それから、「早期発見・早期対応」については、本当にその体制が出来ていたのか、疑問に思うべきです。そもそも、学校と言うところは、その閉鎖性とか隠ぺい体質とかもあるし、モンスターペアレントに過敏になっていることもあるしで、基本的に「いじめ」を認めたがらない。だからいまだに「いじめの定義に合わない」とか「関連があるとは言えない」とか、役人よりもひどい言い逃れをしているのです。これだけいじめがあるといわれても、「いじめの定義にあわせると」いじめのかずが減っているとか言いだすわけです。だからその体制を疑わなければなりません。教育委員会の言う「いじめ」の定義が正しいのかどうか。早期発見したら評価されるのか、それともいじめのある学級として評価されないのか。評価されないとしたら、多くの先生が隠すでしょう。早期対応したら、先生は評価されるのか。学校全体で協力して対応しようと言うインセンティブはあるのか。こんなことは本来「先生の良心」を信じて、そこに訴えなければならない事ですが、残念ながら体制とか仕組みと言うものを考えるときに、「先生の良心」を前提にしたら、その仕組みは機能しないものになります。機能しないと、また一人子どもが犠牲になると言う事です。だから、仕組みづくりの時にはドライに物を見て、やらないといけない。結果としては、そのほうが子どもの命や立場を救う事になるのです。政治は人を信じることが前提ですが、こういう仕事をする時には使い分けないといけませんね。
それから情報の徹底した公開です。これは教育委員会が一番苦手で、一番いやがることでしょう。なかでも一番嫌がるのが、教職員組合、先生たちの労働組合ですね。こちらは、先生は労働者だから団結する、学校は労働者の職場だ、などと言いながら、聖職者・師としての無謬性や高尚さを維持しようとする、自己矛盾に満ちた部分があります。だから、いろいろ隠したがるんですね。これは、全国的な問題でもあります。
私はそもそも、この、「いまだに戦後から脱却できないもののひとつ」である日教組のあり方が、大きな問題だと思っています。もともとは日教組はアメリカが作りました。これは、第二次大戦に至った日本人の姿勢が戦前の教育にあるとして、それを民主化するとかいって、アメリカが日教組をつくったのです。その後、戦後に共産主義・社会主義が勢いを増してきたところ、アメリカは方針転換し、日本も保守合同があって保守化・資本主義化していったのですが、時すでに遅しで、当時のインテリであった先生たちの一部がかぶれて、どんどん左傾化していったのです。そういう意味では、日本を占領した当時のアメリカの狙い通り、いまだに日教組は日本人が本来持つ教育観や道徳観を壊す役目を果たしているのです。いまの民主党の幹事長である輿石さんを筆頭に政治力を発揮している日教組が、この左傾化している日教組が、アメリカの戦後当初の計画線上を律儀に動いていると言うのは、まあ悲劇のような喜劇のような話ですね。
その、まさに日教組の影響だな、と、先日の大津市議会を傍聴して感じました。それは、この学校が、滋賀県で唯一の「制服を廃止した学校」と言う事です。それは、生徒会が主導して、生徒たちの自治だということで、制服の廃止を勝ち取ったと。これ、まさに共産主義者の言いそうな事です。中学生がまさかそんな事を言わないので、当時の先生か、親の中のそういう人がレクチャーして、オルグして、そのように持って行ったのだと思います。おそらく学校側が支配者で、生徒は被支配者で、その被支配者が団結して何かを勝ち取ると言う、共産主義革命の夢を見たのでしょう。
市議会でもこのことが取り上げられましたが、教育長は「生徒の自治と言う事で始まった事なので、制服を復活すると言うのは、学校側、教師、親、生徒の意見を聞いてみないとわからない」と述べました。ここにも「生徒の自治」「生徒の意見を聞かないと」なんて言っているんですね。教育長まで・・・と思いましたが、それだけ日教組の影響が強いと言う事でしょう。ちなみに、この教育長は、この事件が起きた学校の校長先生経験者です。まあ、これまた教育委員会の閉鎖性なのですが、教育長になるための出世ルートと言うのが決まっていて、だいたいこの中学校の校長を経験し、大津少年センターの所長を経験し、そして教育長になって退職と言うのが、教員トップの出世ルートだとか。もちろんそのためには日教組と折り合いをつけないといけないし、いろんな妥協もあるのでしょう。閉鎖的な社会ですから、妥協なしでは上に上がれません。そうしたことを重ねながら、体質化してきたものと思います。
まあ、他にもいろいろ書きたい事はあるのですが、とにかく中長期的な対策として、体質改善をしなければなりません。いろんな問題が出てくるのは、当面の対策、弥縫策だけではだめなのです。例えば、肩こりがひどい、と言う時に、アンメルツを塗るだけでは何度も再発します。原因は、というと、背骨が左曲がりに曲がっている事なので、それをまっすぐにしないと、何度も問題が再発すると言う事です。
これらのことは、大津だけの問題ではありません。残念ながら、大津で吹き出してしまった。一人の子どもが命を自分で絶ってしまった、という、本当に悲しい結果になりました。何としても、大津から教育改革を始めなければなりません。そうしないと、この子は浮かばれない。私が大津に来たタイミングでこのような事件が起きたといことは、私にその仕事をやれ、と言われているのではないか、とも思っています。
民主党政権では教育の世界にもバラマキを持ち込みましたが、いくらばらまいても、教育のレベルは上がりません。子どもたちの道徳心も涵養されません。先生を増やせ!などと叫んでいますが、ダメな先生を何人増やしても何の意味もない。いじめの見落としが増えるだけです。そんなことより、先生の仕分けをしっかりとやってゆかなければならない。先生は労働者ではありません。「教師は労働者だ!」と高らかに叫んだことが、日教組のそもそもの間違いです。教師は労働者ではなく、先生です。学校は労働者の職場ではなく、子どもたちが立派な大人になるために学ぶ場所です。まず、この二つをしっかりと定義しなければならない。
その上で、では、それぞれの教師は、先生と言われるにふさわしいのかどうか、ということで選別しなければなりません。おかしい先生、指導力のない先生に習う子どもほど、不幸な事はない。これは、下手すると取り返しのつかない事になります。教師は先生であるから、先生としてふさわしい人にやってもらう。この、民間企業でも当たり前のことを、教育の場で、というかむしろ、教育の場だからこそ民間企業以上に、しっかりとやってゆかなければなりません。
これははっきりと断言しますが、今の民主党、日教組のボスが幹事長として仕切っている民主党には、絶対に教育改革はできません。むしろどんどん悪くなる。日本人の能力が奪われてゆくと思っています。ここは、新しい自民党が、心を入れ替えてもう一度国民政党として再起動した自民党が、やるしかないと思っています。私もこれまで地方議員として、教育現場のさまざまな問題を見てきた立場として、この教育改革、具体的には教育委員会改革と教師改革について、何としても進めてまいります。それが、大津市を選挙区として立つ私の使命でもあると思っています。
小沢新党?
最近マスコミでは、小沢さんが離党することを確定的に報道していますね。まだ本人が何も言っていないのに、このような形で煽る、あるいはマスコミ主導で退路をふさぐのは、あまり好ましくないことだと思っています。
私は当初から、このタイミングでは小沢さんは離党しないと想定していました。おそらく一票の格差の問題が審議入りした時に、衆議院の比例代表の枠を80人削減を主張し、それを飲めない民主党を批判して、「消費税増税反対・議員定数削減」の二つの旗を掲げて新党を立ち上げる・・・これが私の予想したシナリオです。
実際、私も連日街頭に立ち、有権者の声に耳を傾けていますが、消費税の問題は関心が高いことを感じます。私自身も、これまで地方議員であったときから行財政改革を大きな柱の一つにしてきましたので、行財政改革よりも増税が先行することへの抵抗感はあります。
しかし一方で、子どもたちの世代にこれ以上つけを回さないためには、どこかで増税という選択をせざるを得ないというのも事実です。今さえよければいい、臭いものにはふたをして先送りすればいいという政治から決別し、長期的な視野に立って決断する、言いにくいことから逃げずに決断するという政治に転換するという決意から、自民党としても三党合意に踏み込んだ、と説明しています。
またすぐ目前に、一票の格差の是正という大きな政治課題に答えを出すタイミングが迫っています。これは、最高裁から違憲判決を出されている以上、国会として対応しないわけにはいきません。これに答えを出せなかったら、本当にこの政権は何だったのかということになります。
私個人としては、比例定数の削減は最低でも80以上にすべきだと思っています。将来的なビジョンとして、私はスピードある意思決定のために、衆議院と参議院を合併して、一つの国会をつくるということを目指しています。そのためには、衆議院も参議院も数を減らして、合計500以下にしておかないと、合併した時に入れる議事堂がない。したがって、衆議院350、参議院150くらいを目標に、連続的に定数を減らしてゆくべきだと考えています。
そうすると、今のうちに400にしておけば、衆議院のゴールである350が現実的になる。衆議院が先行的に定数を減らせれば、参議院も歩調を合わせざるを得なくなる。その発端は、衆議院が作るべきだと考えています。
この問題も、国民の関心は高い。そうすると、各政党が少し及び腰になっているところに、小沢さんが大幅削減を主張すれば、国民の支持を集めるかもしれません。
私にはそういうことが予想されるので、小沢さんの離党は一票の格差問題が審議に入ってからだ、と思っています。
いずれにしても、解散総選挙は近いですね。今日は自民党滋賀1区事務所の事務所開きです。秘書も3名が動き始めていますし、資材の手配も終わりました。いまのところ予定通りに準備を進めていますが、なんといっても相手が民主党の大物、野田政権のナンバー3ですので、油断をせずに思い切って当ってゆきたいと思っています。
また、自民党も、もっと目の覚めるような、思い切った改革を打ち出すべきだと思っています。幹部の方にお目にかかるたびに、そのように提言しています。自民党が変わった、改革政党になった、目の覚めるような対案を出すようになった、となれば、他党が離合集散しようと、関係なく国民の支持を得られると思います。
身を切る潔さをもち、党利党略・私利私欲ではなく、日本のために戦う自民党になれば、国民からの信頼を取り戻せます。少なくとも私は、そういう政治家でありたいと思っています。事務所開きを終えて、いよいよトップギアで走りますので、ぜひ引き続き応援してください。よろしくお願いします。
農山村地域を回る
今日までの3日間、滋賀1区では一番の田舎(と言うと叱られますので、一番の農山村地域)である高島市を回りました。
もう、いつ解散があってもおかしくない状況なのですが・・・どうしても選挙が近くなると都市部である大津市に引っ張られますので、時間がある今のうちに高島市を回っておこうということで、泊りがけでじっくり行ってきました。
回ってみると・・・支援者の皆さんも温かく、また日本の原風景を見ているようで、リラックスできます。ふと思い出してみると・・・私の生まれ故郷である土山町に似ているんですね。だから落ち着くのか・・・と合点がいきました。
しばらく走って数件の集落、しばらく走って数件の集落・・・の繰り返しです。効率が悪いと言えばそうなりますが、私は選挙は効率だけでするものではないと思っていて、回りながら地元の人たちの意見を聞くことは、非常にためになります。
驚いたのは・・・というか、当然だし、むしろ田舎だから、かえってテレビのニュースや新聞を良く見ているからなのでしょうが、「このままあと数年間も民主党政権が続いたとしたら、日本は沈没する。私はもうすぐお迎えが来るが、それでも次の世代のことを考えると、ぞっとする。何としてでも、新しい政権をつくって、日本を立て直してほしい。」ということを、切々と訴える方が多い事です。まるですがられるように懇願されることもあります。
私はそのたびに、すこし申し訳ない思いにもなります。それは、私も自民党の一員でありながら、「果たして今の自民党に、日本を救う真の力があるか?」ということに、一抹の疑問があるからです。私も多くの議員さんを見てきましたが、自民党には本当に国を思い、国のために命を捨てても良いと思っている国士がたくさんいます。その一方で、自分のこと、自分の選挙のことしか考えられないような、とても先輩として尊敬するに値しない議員さんもいて、そういう人が重い役に就いた場合には、民主党と大して変わらない結果しか出せないのではないかと思うからです。
まさに、3年にわたる民主党政権がのたうちまわった挙句、末期症状を迎えたことで、日本は国難を迎えています。こういう時には、実は民主党とか自民党とか、そういう狭い視野の話ではなく、もっと大きな意味で、若い世代がそれぞれの思いを遂げるための行動に移すべきだと思っています。その末に、思いを同じくする人たちが集まると言う、自然な形での政治勢力が生まれるのではないでしょうか?明治維新も倒幕だの攘夷だのと言っていながら、最後には明治政府として団結し、新しい世代が活躍をしました。実は自民党も、戦後に力強い政治勢力をつくるために、国民政党として団結して生まれた歴史があります。
そんなことを思いながら、一軒一軒の方々のご意見を聞いて回りました。若手の自民党として、多くの期待を感じました。それらの期待によって勇気づけられましたし、同時に「必ずや勝って、日本を立て直さなければならない」と強いプレッシャーも感じました。
さて・・・写真は、鯖街道です。いまは鯖街道と言うと、国道303号線から367号線に至る道をさすこともあるのですが、写真の道が本物の鯖街道です。これは、若狭湾でとれたサバを、サバは足が早いのでその場で塩をして、この道を歩きながら京都に来ると・・・ちょうどよく塩が回って食べごろになっている、ということから名付けられたとのこと。サバに限らず、京都と北陸を結ぶ交易ルートだったのです。
こうした歴史のある街道も、いまや限界集落になっています。こうした地域をどう残し、どう守るか、これは国政を担う若者が決して忘れてはならない課題だと思っています。おじいちゃんやおばあちゃん、一人一人の思いを受け止めましたので、何としても政策に反映させたいと思っています。
士魂商才
今日も街頭演説やら訪問活動で一日が終わりました。新人として滋賀県に帰ったので、訪問活動をしても、はじめまして、からスタートするため・・・どうしても時間がかかってしまいます。一方で、じっくり話が聞けるので、いま地元の有権者がどう思っているか、つぶさに知ることができますね。
さて、今日大津の街中では・・・百円商店街というイベントが行われていました。今回は大学の落語研究会、いわゆるオチケンとのコラボで、多くの集客をしていました。私の母校である早稲田大学も、出張してきています。京都女子大もありました。女流の落語家の卵がいるのでしょう。
行ってみると、結構な人だかりで・・・すごい辣腕のプロデューサーがいるのかと思いきや・・・なんと、プロデュースも大学生がやっていました。それも、商店街の会長さんの息子さん!すごい人材がいるものです。素晴らしい成果でした。課題は、これをどう普段の集客につなげてゆくかです。これは、中小企業診断士として仕事をしていたときに、常に発生する重要なテーマでもありました。
商店街も、やる気のある商店街と、そうではないところと、雲泥の差がありますね。しかしながら、今はほぼ同じように補助金をばらまいています。これはまあ確かに平等かもしれませんが、多くの死に金が発生します。やる気がない人におカネをばらまいても、有効には使われないんですね。それも、元は税金です。やはり、均等バラマキよりも、やる気によって大きく差をつけるべきだと私は考えています。これって、不平等なのでしょうか?
民主党政権は、傾向としてとにかく均等バラマキが好きですが、私はそれこそが、大きな税金の無駄遣いだと思っています。ムダを削減して17兆円の財源をねん出するとか言っていましたが、結果として何の財源も出せず、さらにはこうした、まさに死に金をつくるような均等ばらまき政策を展開しています。おそらく膨大な無駄が発生していることでしょう。均等ばらまきは、効果を出せないだけではなく、頑張っても頑張らなくても、もらえる金額が同じなので、頑張っている人がアホらしくなるのです。その結果、日本は少しずつ、やる気も競争力もなくしてしまいました。
大津の商店街は、負けてたまるか、と努力されていました。日本の各地で、何とかしなければ!と立ちあがった商店街があります。まさにこういう方々は、士魂商才、サムライスピリッツと、進取のビジネス感覚を持ち合わせて、必死で努力をされています。
私も、政治の世界ではありますが、というか、いまの民主党政権が経済や経営に極めてうとく、これからの政治に最も求められているのが中小企業の活性化、国内大企業の再生、デフレの克服であるからこそ、士魂商才を肝に銘じて政策を進めたいと思います。
解散風
今日は党本部からお呼び出しがあり、新人支部長を対象にしたヒアリングが開催されました。場所は自民党京都府連でした。
久しぶりに京都の道路を見ながら・・・と思って、車で出かけました。大津の隣は山科。山科は、民主党の大物、前原さんの地盤です。さすがにポスターだらけですね。商店やコインパーキングなど、ともすれば党派色を出すことをためらうような場所まで、ポスターがべたべた張ってあります。とはいえ、そもそも知名度は100%に近い状態ですから、ポスターを貼りまくることの目的は何なのでしょうか?むしろ・・・民主党の責任者の一人ですから・・・今の民主党のひどい状況を目の当たりにして、多くの国民から、このまま民主党政権が続けば国がつぶれてしまうのではないか、国を売ろうとしているのではないかという疑念までもたれている中では、効果は疑問です。むしろマイナスかもしれません。
今日のヒアリングでは、毎日の活動状況を報告し、気づいたことや政策的な面で地域から言われていることなどを伝えました。また、党本部に取り組んでもらいたいことを要望しました。私はこれまで議員経験があり、他の議員の皆様や行政関係者、企業関係者との付き合い方を知っているので孤立感はないのですが、政治経験のない新人支部長の場合、孤立する、あるいは孤立感をもってしまうことがあるようです。定期的にこうした場を持っていただければ、皆さん安心して取り組めるのではないかと思いました。
帰りに、久しぶりに平安神宮によりました。神頼み、ということで、お参りをし、引越しの関係で古いお札をたくさん持っていたので、納めてきました。そうしたら、茅の輪(ちのわ)が出ていたので、説明書きにしたがって茅の輪くぐりをしてきました。いままでにたまった穢れがはらわれたことと思います。
今日のヒアリングで、党本部のほうから、7月解散、9月初頭選挙が想定されるので、準備を急ぐように!との支持をいただきましたが、世の中はまだ解散風が吹いていませんね。それどころか・・・もう政局中心、というより、政局しかやらない、何も政策をやらない、外交もやらない、国民の温度や痛みをわかろうともしない政治全体に対し、あきれてしまって、あきらめてしまっているようにすら感じます。
これは、一番危ない傾向だと思っています。国も、会社も同じですが、気力をなくしたり、あきれてしまったり、あきらめてしまったら、衰退しかありません。このマインドをどうやって上向きに変えてゆくかということが、会社では経営者の腕の見せ所、国では政治家の腕の見せ所です。
今度の選挙は、有権者の皆さんは人物をよく見てくると思っています。果たして、この人物が今後10年から20年、政治を託すに足る人物かどうか。地震など、日本が危機を迎えたときに、動じずに冷静に対応できるかどうか。外国からのさまざまな要求に対し、強く国益を守りながら、アジアのリーダーシップを発揮するような交渉力があるかどうか・・・。
私もまだまだ未熟ですが、多くの方々から人物として任せられる、と評価してもらえるよう、努力を重ねたいと思っています。
明日から週末です。活発に活動を展開してまいります。
拉致問題を風化させるな
今日、滋賀県での第一声を行ったのですが・・・あいにく、晴れて(笑)しまい・・・前の日に大雨土砂降りの中での街頭演説をイメージして寝たので、拍子抜けでした。
党本部から言われたお題が「拉致問題」なのですが、これはまさに国政を挙げて取り組まなければならない課題だけに、地方議員さんたちは苦手そうでした。そのぶん、原発問題や道路整備問題を話をしておられましたが、これは職責のうえで致し方ない部分だと思います。
私はたまたま、というか、浜松の支援者に恵まれて、浜松ブルーリボンの会の設立当初からのメンバーですので、皆さんが苦手な分、拉致問題をしっかり演説してきました。
民主党政権になってから、外交は総崩れ状態です。民主党政権になってからすぐに発生したのが、トヨタ車が暴走するとしてアメリカ議会に徹底的に攻撃される事件でした。
これは結果として全くのシロだったわけですが、この時に民主党の閣僚は誰ひとりアメリカに乗り込みませんでした。労働組合に選挙をやってもらっておきながら、誰ひとり日本が誇る有力企業を守ろうとしなかった。これはまったく許せない事です。労働組合の人たちも、国益も守らないし、世話になった企業にも恩返ししない姿勢に、いったいどのように感じたのでしょうか?
尖閣諸島沖の漁船衝突事件で、中国の顔色をうかがって犯罪者である船長を丁重にお送りしたのは、皆様の記憶にあると思います。
北朝鮮の顔色をうかがい、アメリカの顔色をうかがい、中国の顔色をうかがい・・・民主党政権はほんとうに日本人による政権なのか、疑わしく思います。
マニフェストがどうのこうのと言う以前に、私はこの手の国家観や、議員が国民や国内企業を守ろうとしない姿勢は、いまの民主党の最も許せない部分です。私は、自分の身を顧みずに、国民や国内企業を守るために行動できる議員になりたいと、今日本当に強く決心しました。
拉致問題・・・語ると深いこの問題は、国会議員になる上での姿勢や矜持が問われる問題だと思います。
選挙の相棒
今日は、私の選挙の相棒の整備です。
こいつは15万キロも走っているのですが、エンジンも好調で、まだまだいけそうです。軽の街宣車は、運転しやすいし、細い路地にも奥まで入り込んでしっかりと政策を伝えてくれるので、ずっと重宝してきました。
駅や交差点のちょっとした隙間に駐車できるので、交通の邪魔にもなりませんし。
また、ワイヤレスマイク2本、有線マイク2本装備で、MP3で録音した声を流すこともできます。電光看板もついています。中身はでっかい選挙カーと同じです。
選挙をやっていて思うのは、いくら一生懸命やっていても、ちょっとしたことで自動車あるいは歩行者の邪魔をすると、逆に嫌われてしまって、それならやらないほうがましってことです。まさに、「及ばざるは、過ぎたるより優れり」ですね。
でも・・・いろんな陣営の選挙を手伝っていると・・・そんなことは分かっているのに、熱くなってしまって自分たちを客観視できなくなってしまって、勢いに任せてやってしまう・・・と言う人を、これまで何度注意したことかわかりません。
政治活動は、いつも自分たちを客観視する余裕が必要ですね。これは、リーダーシップを発揮すべき立場の人みんなに言える事ですが。逆に言うと、常に客観視できる余裕がない人は、リーダー失格です。
しっかり整備してもらって、大津・高島の皆さんにも可愛がってもらおうと思っています。
看板も、シンプルなんだけど、見やすくてよくできました。
最後の県政報告会
6月に入りましたが、気温・天候ともに不安定と言うか、大きく変動していますね。こういうときには、普段以上に体調管理が必要です。
さて、明日6月6日(水)、午後6時30分から私の最後の県政報告会を開きます。
場所はグランドホテル鶴の間です。
もう少し早く、ブログやHPで告知しなければならなかったのですが・・・うかつにもケーブルテレビを解約したらインターネットまで使えなくなりまして・・・しばらくネットなし生活でした。
県議会議員としての残務整理、やりかけた仕事に目途をつけることに追われながら、多くの皆様から送別会をしていただきました。本当に感謝しています。
仕事にほぼ区切りがつきましたので、明日の県政報告会を終えて、明後日6月7日には県議を辞し、国政を立て直すための仕事に専念したいと思っています。
いま、まさに国難です。私たちのような若い世代の政治家が、どれだけ捨て身で動けるかが問われていると思っています。
振り返ると、平成11年に27歳という若さで初めて当選させていただきました。以来、議員として、政治家として育てていただいた浜松の皆様に報いる意味でも、ここで勝負できなければ、若いうちから政治の世界に入れていただいた値打ちがないと思っています。国の一大事に際し、行動できてこそ、これまで議席をいただいてきた価値があるのではないか、そう考えています。
これからも、志を持ち続けて頑張りますので、ぜひ引き続きご支援ください。
よろしくお願い申し上げます。
滋賀1区の自民党支部長に就任
今日付けで、衆議院滋賀1区の自民党支部長に就任しました。これは、国会で解散があれば、自民党公認候補として衆議院選挙に出馬することになります。
滋賀県は私の生まれ故郷であり、近く現職である静岡県議会議員を辞職して、滋賀県での活動を開始したいと思っています。もちろん、「立つ鳥あとを濁さず」という言葉がある通り、継続中の仕事にしっかりとめどをつけてゆきたいと思っています。
多くの方々、とりわけ私の県議会議員選挙や県議としての仕事を応援してくださった方からは、「なぜ途中で県議をやめるのか?またなぜ静岡県ではなく滋賀県から出るのか?」という疑問をお持ちだと思います。
まず、静岡県の皆様、そして27歳で政治活動を始めてから今までずっと応援してくださった方々のおかげで、今回のチャンスが回ってきたことに本当に感謝しています。これまで市議および県議として仕事をしてきたことが高く評価され、国政関係者からも多くの期待を頂きました。これはひとえに、どんな風が吹こうとも、各党の人気が上下しようとも、無所属・大岡党で選挙に勝てる体制をつくりあげてくださった、支援者の皆様のおかげです。ある自民党幹部は、「最近公募をやっても、党や団体に依存する候補者ばかりだ。君のように、無所属で政党の間を割って出てくるような野性味のある若者がいなくなった。もともと自民党は、そういう野性味のある政治家の集団だった。どんどん前に出て頑張ってほしい。君の活動を党本部はしっかり応援する。」といってくださいました。こうした高い評価をいただけるのも、静岡県、浜松市の皆様の応援があったからこそと、本当に感謝しています。この感謝をしっかりと胸に刻んで、今後の活動をしてゆきたいと思います。
また、滋賀から出ることについては、私の故郷だからです。実は3年前の衆議院選挙の時から、関係者から滋賀に帰って衆院選に出てもらいたいという要請を頂いておりました。残念ながら、前回は公募で落選し、それは実現しませんでした。そうしたことがあったうえで、今回滋賀1区の公募があり、これまでお世話になってきた滋賀あるいは国政関係者に相談して、また家族にも相談して、最後は自分で公募に手を上げる決断をしました。その最大の理由は、「いま、国が危機を迎えている。これを見て見ぬふりをするか、行動するか、おまえはどちらだ。」と自問自答した事です。
滋賀の皆様にとっては、私は生まれは滋賀とは言え、これまで静岡で政治経験を積んできた外部者です。またこれまで、民主党ではないにせよ、無所属で活動してきた、いわば自民党の外で政治経験を積んできた、これまた外部者です。
そういう私であっても、むしろ一部の方からは「外の道場で武者修行をしてきた」ことを評価していただいて、支部長に選んでいただいたことに、本当にありがたく思っています。ある方は「もともと自民党の強さは、開かれていること。外の人材もどんどん取り込んで、国民政党になった。自民党本来の強さを取り戻すんだ。」と言っていただきました。
「国難襲来す。」これは、幕末の水戸の政治家、藤田東湖が、長州の吉田松陰にあてた手紙の書き出しです。
このあとは「国家の大事といえども、深慮するに足らず。 深慮すべきは、人心の正気の足らざるにあり」と続きます。つまり、国民が闘志や希望、熱意や辛抱を失うことこそ最大の危機だと言っています。これは翻って、政治家である私たち、とりわけ若い世代の政治家に「お前は行動できるのか。その気迫があるのか」と迫っているのです。
この国難にあたって、捨て身で行動できないようでは、若いうちから政治の舞台に上げていただいた値打ちがない、私はそう考えました。たしかに浜松の皆さんと別れるのはつらいです。どんな風が吹こうと当選させていただける支援者から離れるのは、不安です。私のような若者に期待をかけてくださった皆様なら、きっと送りだしてくれる。それが、これまで応援してくださった皆様の期待に報いることだ、と考え、不安を振り切って、全くゼロから始めるべくフロンティアにチャレンジする決断をしました。
覚悟を決めたのは、私だけではありません。私の家族も同様です。妻は浜松出身で、滋賀には知り合いはいません。また関西弁もしゃべれません。そんな中で、一から後援会活動をしなければなりません。13年前と同じように、またこつこつと訪問活動をしなければなりません。子どもたちも同様です。上の子は小学校6年生で、卒業目前に転校することになりました。おそらくこれまで5年間付き合った友達と修学旅行に行きたかった事でしょう。同じ卒業アルバムに写りたかった事でしょう。真ん中の小2の子も、一番下の幼稚園の年長さんの子も、おなじです。子どもたちに負担をかけることは心が痛みますが、その分頑張らなければならないと思っています。
これまでの支援者のご厚情や、新天地である滋賀の皆様の期待、家族の覚悟に報いる唯一の方法は、なんとしても勝って、国政の立て直しに人生をかけることです。捨て身で日本の政治を立て直す姿勢を見せられれば、国民の皆様の政治に対する信頼を取り戻せると信じています。もう一度、ゼロから、皆様一人一人の信頼を勝ち取る努力を重ねたいと思っています。
相手は民主党の大物、当選8回の川端総務大臣です。東レの労働組合がしっかりと支える、いわば労働界のプリンスです。まさに巨人と子どもの戦いのように見えますが、捨て身でぶつかれば勝ち目はあると思っています。私の恩師であるスズキの鈴木修会長は、自身のブログの中で私たち若者にこのようなメッセージを投げかけています。
「最後に若い皆さんに一言。あなた方は本当に大変な時代を生きていかなければなりません。しかし、どんな苦難に直面しても互いに切磋琢磨しながら、大きな相手と闘いなさい。負けることを恐れてはなりません。結果が出なくてもあきらめず、何度でも立ち上がる。競争と闘いの先にだけ、未来は拓けるのです。あなた方には無限の可能性があるのですから、胸を張って、一歩ずつ前へ進めばいい。暗い闇夜を切り開く開拓者になりなさい。あなた方はその運命を背負って生まれてきたのです。」
この国難、日本の危機、多くの国民が不安と心配を感じている闇夜を、まっすぐに切り開けるような政治家として成長したいと思います。
まつりのあと
浜松まつりが終わりました。4日、5日とよく晴れたので、思う存分凧あげが出来たと思います。
写真は、うちの親戚の凧揚げです。本当に気持ち良く揚がりました。
私も5日には、2年ぶりに合戦に混ぜていただき、楽しませていただきました。
高校時代にラグビーをやっていた関係で、あの手の混戦は得意で・・・まあそれにしても、結構ラフプレーをやってますね。みんな興奮してきて、つい、という かわざと、相手町のメンバーを傷つけるようなことをやってしまうのだと思います。私は気づいたらその都度当人を注意して、ラフプレーをやめるように言いま した。みんな、私よりも若いせいか、注意されるとはっと我に返って、やめてくれました。
この手の事は慣れもあって・・・ラグビーでも、最初は過度に興奮するので、ラフプレーが出てしまうものでした。それがだんだん慣れて来て、余裕が出てくる と、紳士的な態度が取れるようになります。凧あげの合戦も同じで、経験者で余裕のある人はラフプレーをしませんね。余裕がなくなっている人がやるのでしょ う。浜松まつりでも、経験豊かな方々が指導することで、若い人たちに少しずつでもスポーツマンシップが浸透してくれるといいと思います。
ところで、政治的には、「静岡県暴力団排除条例」が施行されて初めて迎える浜松まつりとなりました。この条例は県議会を全会一致で通した重要な条例です。 まつりに暴力団はつきもの・・・などと、言うわけにはいきません。この条例を通したことで、悪質な暴力団の摘発がしやすくなったはずです。今回の浜松まつ りで、条例を活かして県警がどういう仕事をしたのか、5月議会がありますので、その前後での報告を待ちたいと思います。
まつりのあとの今日は・・・すごく町が静かでした。まさに「まつりのあと」です。
私は今朝から仕事が入っていたのでクルマで市内を走りましたが、道路はめちゃくちゃすいていて、町を歩く人もまるでなく・・・本当にまちが放心したような感じでした。
まつりが大成功に終わった人も、まつりで失敗した人もいると思います。
また、連休中には悲惨な事故が多数ありました。まつりのあとで「あとのまつり」と後悔しないように、ハメを外しすぎることなく、油断しすぎることなく、常にどこかに自制する気持ちを持たなければなりませんね。
明日から通常勤務が始まります。明日から襲ってくるのは・・・皆さんご存じの「五月病」です。
私もそんな病気になっている暇はないので、気を引き締めて、脇を引き締めて、職務にあたりたいと思います。
明日は滋賀県でひと仕事してきます。