滋賀1区(自民党) 大岡敏孝(おおおか としたか)

2011年08月の記事一覧

2011.08.23 (火)

新東名

昨日、新東名高速道路の視察に行ってきました。

富士から静岡までの間を見ましたが、とにかくトンネルと橋が多いという印象です。内陸部を通るためにやむを得ないのですが・・・橋の上からの見晴らしは良くて、わき見運転が心配なほどでした。

色々説明してもらって初めて知ったのですが、東名の工事期間の間にも、少しずつ土木技術が進歩しているんですね。強度の確保を進めながら、コスト削減を進 めているとのこと。極端な話では、下り車線の橋を作りながら強度を検証して、上り車線を作るときには少し進化した工法を使ったり。
こういう事が世界最高の土木技術を支えているんですね。コツコツと技術を磨いてゆく日本の技術者には本当に脱帽します。

一方で、こうした技術の伝承は大きな課題とのこと。国内では、一時土木工事=悪という構図で批判され、今の民主党政権では「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズを使う始末です。
私はこの問題を解決するカギは、「国内リプレースと海外展開」の二点だと思っています。

国内リプレースについては、新東名が出来ることでやっと旧東名のリプレース工事が出来ることになりました。当然のことながら、1本しかないときは大規模な付け替え工事は出来なかったのです。

新東名の効果の一つとされた、旧東名の由比周辺も、これからが課題です。
由比の地域は東名、東海道本線、1号バイパスが近接しており、台風のたびに通行止めになっています。東日本大震災のような地震と津波の複合被害が発生した場合、日本の頸動脈が切られてしまうことになります。これは大きな問題でした。

新東名が出来たことで、由比の問題が解決するわけではありません。あくまでう回路が確保されたと言うことです。そうではなくて、新東名が出来たことで、由 比の付け替えの議論が出来ます。危機管理は少しずつでも被害経験が図られるよう、絶え間なく見直してゆくことが大切です。

また、海外展開も今後積極的に進めていただきたいと思います。
中国のパクリ新幹線のような問題はいただけませんが、ODAをフル活用して、海外インフラによる国際貢献と国内経済の活性化、技術の伝承を目指すべきです。

そもそも、いったい誰がひも付きODAがダメだと言いだしたのでしょうか?
私は、日本人の税金で海外協力するのですから、日本の企業が受注して当たり前だと思います。
そればかりか、日本が行うODAなのに、国際的に入札して例えば中国の企業が受注した場合、本当に品質の保証が出来るのですか?日本の旗を立てて、日本の 責任でやる事ですから、日本が確実な保証を約束しなければならない。そうすれば、日本のODAは日本企業が受けるのが当たり前の事です。

にもかかわらず、ひも付きがけしからんとか、どこの国の人が言っている事かわからないような議論が国会で行われてるのを見ると、どの国の国会議員だろうかと思ってしまいます。

それから、インターや事務施設も見せていただき、エコや運用効率改善の説明をいただきました。
そこで気づいた事は、エコへの努力について、もう一歩踏み込めるのではないかという事です。

例えば、太陽光発電設備を付けて、出来るかぎりの自家調達を進めるとのこと。
でも少し踏み込んで伺うと、太陽光発電関連は一般的なもので、直流で発電して交流に戻して事務所用の電線に接続するようです。
ですが、ここでの設備はLED電灯やブロアなど、直流電流で動くものもたくさんあります。パソコンや料金設備などは安定電源が必要なので中部電力に頼むべ きですが、LED電灯やブロアなら太陽光発電と蓄電設備の組み合わせで、直流のまま活用できれば、かなりの効率化が図れます。

さらに言えば、トンネルと橋が常に隣接しているので、橋の欄干にソーラー発電を付けて発電・蓄電し、直流電流のままトンネル内のLEDとブロアの電気を賄えば、送電コストもかからず、送電線も節約できて、かなり効率的です。停電しても明るさは確保できますし。

これからの公共事業は、経費節減だけでなく、電気を含む省エネの問題、技術の伝承の問題、危機管理の問題など、いくつもの課題を同時にクリアしなければなりません。
しかし今回の視察で、日本人の技術陣ならできると思いました。またこのことは、これまで日本が後塵を拝してきた、インフラ輸出の分野では強い競争力を発揮できると思いました。

先ほど申し上げたODAの仕組みも見直して、オールジャパンで国際貢献し、同時に日本経済の活性化にもつなげられるような戦略が必要です。

このところ、経済戦略がない政権が続きすぎて、いよいよ日本経済も疲れが見えてきました。
限界に達する前に、新しい政治の仕組みを作らなければなりません。そのカギは、地方分権というよりむしろ、地方から中央に攻めのぼることではないか、思うようになりました。

2011.08.15 (月)

お墓参り

先日、滋賀県の実家にお墓参りに行ってきました。

中学で家を離れてから、お盆とお正月に実家に帰り、家で食事をするのが楽しみでした。
社会人になってからも、ほんのわずかの日数ですが、お盆とお正月には実家に帰るようにしています。

写真のように・・・私が生まれた場所は、いまでもド田舎です。
おじいちゃんはここに土葬されています。おばあちゃんは、近くに火葬場がやっとできたので、火葬されてここに埋められています。

木の墓標なので、どんどん朽ちてしまうのですが、そういうものですのでそのままにしてあります。

ここに水をかけ、草取りをして、蝋燭とお線香を立ててお祈りします。

議員になってからは、この時期いろいろと行事もあるので、ほとんど時間が取れなくなりました。今回もたった一日ですが、リフレッシュする事ができました。お墓参りなどをすると、気持ちの面でもすっきりします。また頑張ろう、というやる気も出てきます。

今日は終戦記念日で、アクトでの式典に参加しました。
この時期は、静かにいろいろ考えたい気持ちになりますね。
しかしながら・・・議員を含めてお役所の仕事は暦通りですので・・・今日から普通に仕事です。

原発も、東北も、それぞれ大変ですが、地元の静岡経済もこの円高で相当厳しい状況が予想されます。油断するわけにいかないので、しっかりと政策で勝負してゆきたいと思います。

2011.08.02 (火)

モンゴル外交

昨日まで、知事を団長とするモンゴル使節団のメンバーとして、モンゴルのウランバートルとドルノゴビ県を訪問し、先方の要人といろんな協議・交渉をしてきました。

県として、まずスタート位置に立つための友好提携をまとめてきました。
政治的に友好関係を作って、経済協力、民間進出を進めると言うのが、本来の外交の形です。
その点で、中国はいびつです。政治的に信頼関係がいまだにつくれない状況で、経済のみが突出して交流を進めています。これはもちろん政治の動きが遅すぎたことが原因ですが、そのためしばしば中国政府の原因不明な嫌がらせを受けたり、場合によっては接収されるリスクがあったり、尖閣問題の時にはフジタの社員が拘束されると言う危険極まりない状況になったりしました。

今回の新幹線事故やその前のパクリ問題といい、日本の目から見ていまだに中国政府は信頼できる状況になっていないと感じています。本来は日本の国会議員はもっと交流を進めて、信頼関係を作るか、それとも得体のしれない国・信頼できない国として、民間・経済交流にも支援なり制限なりをすることが、本来の政治の仕事だと思います。

一方で、国会議員が外国に出かけると、「外遊」といわれ、遊びに行っているように思われる風潮も何とかしないといけません。本当に遊びに行っている議員は糾弾し、落選してもらわないと行けないのですが、そういう人に限って大量のお土産を買いこんで地元に配り、選挙は強いと言うこともしばしばです。そんな事をやっているのでいつまでたっても議員が国益にプラスにならないんですね。「国益において議員は百害あって一利なし」、などと、本末転倒というか、すさまじい皮肉を言われているのも・・・ほんとうに残念です。

今回は「地域外交」の一端として、「花も実もある外交」を展開したいと思います。
仲良くするだけでは意味がありません。地域企業がその果実を取れるように、戦略的に進めてゆきたいと思っています。

モンゴルでは、金やウラン、レアメタルなどの資源が大量にあることが分かりました。また、良質の石炭を安く掘ることもできます。しかし、問題は日本までの輸送路です。モンゴルはロシアと中国に挟まれており、輸出するにはどちらかを通らなければなりません。

中国は先ほど申し上げたような状況で、モンゴルとしてもあまり信用していないようです。ロシアは、私はよく知りませんが、モンゴルとロシアの双方に利益があるような交渉が出来るのでしょうか?

今回の使節団には、多くの民間人の皆様もご一緒いただきました。
青年海外協力隊や、オイスカの皆さん、教育関係者や中部電力の役員、NEXCOの顧問の方など、モンゴルとの協議だけでなくこうした参加者の皆さんと時間や経験を共有し、いろんな話を聞けた事は本当に大きな収穫でした。

来年2月にはモンゴルからの使節団が来るようです。その時はしっかりとお迎えしたいと思いますし、多くの日本の施設を視察していただきたいと思っています。特に、今回の課題であった資源とインフラだけでなく、農業なども相当なノウハウをモンゴルに提供できると思います。逆に言えば、日本のノウハウを持ち込んで形にできれば、相当な富を手に入れる事が出来ると思います。

今回の経験の中で、これは明治維新のころを同じだと感じました。アンテナが高く、海外のノウハウを持ち込んで形にした人が、多くの富を手にしました。また政治と連携し、今で言う利権を手にできたら、成功を収める事ができました。

逆に言うと、そういうインセンティブがあったので、公共投資を税金に頼らず、民間投資で進められて一気に近代化できたという側面があります。これは光があれば闇があるという当然の摂理なのですが、当時は発展の速度が速かったので、国民みんなに利益があり、問題にならなかったということでしょう。

いま、まさにモンゴルはその時期に差し掛かっています。インセンティブと公平性をどのようにバランスさせるかが課題でしょう。その点でも県としてアドバイスができると思っています。

かつての日本のように、さらに言えば本来の政治家の仕事として、「国益をひっさげて、静岡県の利益を引っ提げて取り組む」外交を進めてゆきます。これは、私がこれから政治の仕事を進める上で、重要な経験、トレーニングにもなると思っています。

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