滋賀1区(自民党) 大岡敏孝(おおおか としたか)

2012年06月の記事一覧

2012.06.29 (金)

農山村地域を回る

今日までの3日間、滋賀1区では一番の田舎(と言うと叱られますので、一番の農山村地域)である高島市を回りました。

もう、いつ解散があってもおかしくない状況なのですが・・・どうしても選挙が近くなると都市部である大津市に引っ張られますので、時間がある今のうちに高島市を回っておこうということで、泊りがけでじっくり行ってきました。

回ってみると・・・支援者の皆さんも温かく、また日本の原風景を見ているようで、リラックスできます。ふと思い出してみると・・・私の生まれ故郷である土山町に似ているんですね。だから落ち着くのか・・・と合点がいきました。

しばらく走って数件の集落、しばらく走って数件の集落・・・の繰り返しです。効率が悪いと言えばそうなりますが、私は選挙は効率だけでするものではないと思っていて、回りながら地元の人たちの意見を聞くことは、非常にためになります。

驚いたのは・・・というか、当然だし、むしろ田舎だから、かえってテレビのニュースや新聞を良く見ているからなのでしょうが、「このままあと数年間も民主党政権が続いたとしたら、日本は沈没する。私はもうすぐお迎えが来るが、それでも次の世代のことを考えると、ぞっとする。何としてでも、新しい政権をつくって、日本を立て直してほしい。」ということを、切々と訴える方が多い事です。まるですがられるように懇願されることもあります。

私はそのたびに、すこし申し訳ない思いにもなります。それは、私も自民党の一員でありながら、「果たして今の自民党に、日本を救う真の力があるか?」ということに、一抹の疑問があるからです。私も多くの議員さんを見てきましたが、自民党には本当に国を思い、国のために命を捨てても良いと思っている国士がたくさんいます。その一方で、自分のこと、自分の選挙のことしか考えられないような、とても先輩として尊敬するに値しない議員さんもいて、そういう人が重い役に就いた場合には、民主党と大して変わらない結果しか出せないのではないかと思うからです。

まさに、3年にわたる民主党政権がのたうちまわった挙句、末期症状を迎えたことで、日本は国難を迎えています。こういう時には、実は民主党とか自民党とか、そういう狭い視野の話ではなく、もっと大きな意味で、若い世代がそれぞれの思いを遂げるための行動に移すべきだと思っています。その末に、思いを同じくする人たちが集まると言う、自然な形での政治勢力が生まれるのではないでしょうか?明治維新も倒幕だの攘夷だのと言っていながら、最後には明治政府として団結し、新しい世代が活躍をしました。実は自民党も、戦後に力強い政治勢力をつくるために、国民政党として団結して生まれた歴史があります。

そんなことを思いながら、一軒一軒の方々のご意見を聞いて回りました。若手の自民党として、多くの期待を感じました。それらの期待によって勇気づけられましたし、同時に「必ずや勝って、日本を立て直さなければならない」と強いプレッシャーも感じました。

さて・・・写真は、鯖街道です。いまは鯖街道と言うと、国道303号線から367号線に至る道をさすこともあるのですが、写真の道が本物の鯖街道です。これは、若狭湾でとれたサバを、サバは足が早いのでその場で塩をして、この道を歩きながら京都に来ると・・・ちょうどよく塩が回って食べごろになっている、ということから名付けられたとのこと。サバに限らず、京都と北陸を結ぶ交易ルートだったのです。

こうした歴史のある街道も、いまや限界集落になっています。こうした地域をどう残し、どう守るか、これは国政を担う若者が決して忘れてはならない課題だと思っています。おじいちゃんやおばあちゃん、一人一人の思いを受け止めましたので、何としても政策に反映させたいと思っています。

2012.06.24 (日)

士魂商才

今日も街頭演説やら訪問活動で一日が終わりました。新人として滋賀県に帰ったので、訪問活動をしても、はじめまして、からスタートするため・・・どうしても時間がかかってしまいます。一方で、じっくり話が聞けるので、いま地元の有権者がどう思っているか、つぶさに知ることができますね。

さて、今日大津の街中では・・・百円商店街というイベントが行われていました。今回は大学の落語研究会、いわゆるオチケンとのコラボで、多くの集客をしていました。私の母校である早稲田大学も、出張してきています。京都女子大もありました。女流の落語家の卵がいるのでしょう。

行ってみると、結構な人だかりで・・・すごい辣腕のプロデューサーがいるのかと思いきや・・・なんと、プロデュースも大学生がやっていました。それも、商店街の会長さんの息子さん!すごい人材がいるものです。素晴らしい成果でした。課題は、これをどう普段の集客につなげてゆくかです。これは、中小企業診断士として仕事をしていたときに、常に発生する重要なテーマでもありました。

商店街も、やる気のある商店街と、そうではないところと、雲泥の差がありますね。しかしながら、今はほぼ同じように補助金をばらまいています。これはまあ確かに平等かもしれませんが、多くの死に金が発生します。やる気がない人におカネをばらまいても、有効には使われないんですね。それも、元は税金です。やはり、均等バラマキよりも、やる気によって大きく差をつけるべきだと私は考えています。これって、不平等なのでしょうか?

民主党政権は、傾向としてとにかく均等バラマキが好きですが、私はそれこそが、大きな税金の無駄遣いだと思っています。ムダを削減して17兆円の財源をねん出するとか言っていましたが、結果として何の財源も出せず、さらにはこうした、まさに死に金をつくるような均等ばらまき政策を展開しています。おそらく膨大な無駄が発生していることでしょう。均等ばらまきは、効果を出せないだけではなく、頑張っても頑張らなくても、もらえる金額が同じなので、頑張っている人がアホらしくなるのです。その結果、日本は少しずつ、やる気も競争力もなくしてしまいました。

大津の商店街は、負けてたまるか、と努力されていました。日本の各地で、何とかしなければ!と立ちあがった商店街があります。まさにこういう方々は、士魂商才、サムライスピリッツと、進取のビジネス感覚を持ち合わせて、必死で努力をされています。

私も、政治の世界ではありますが、というか、いまの民主党政権が経済や経営に極めてうとく、これからの政治に最も求められているのが中小企業の活性化、国内大企業の再生、デフレの克服であるからこそ、士魂商才を肝に銘じて政策を進めたいと思います。

2012.06.22 (金)

解散風

今日は党本部からお呼び出しがあり、新人支部長を対象にしたヒアリングが開催されました。場所は自民党京都府連でした。

久しぶりに京都の道路を見ながら・・・と思って、車で出かけました。大津の隣は山科。山科は、民主党の大物、前原さんの地盤です。さすがにポスターだらけですね。商店やコインパーキングなど、ともすれば党派色を出すことをためらうような場所まで、ポスターがべたべた張ってあります。とはいえ、そもそも知名度は100%に近い状態ですから、ポスターを貼りまくることの目的は何なのでしょうか?むしろ・・・民主党の責任者の一人ですから・・・今の民主党のひどい状況を目の当たりにして、多くの国民から、このまま民主党政権が続けば国がつぶれてしまうのではないか、国を売ろうとしているのではないかという疑念までもたれている中では、効果は疑問です。むしろマイナスかもしれません。

今日のヒアリングでは、毎日の活動状況を報告し、気づいたことや政策的な面で地域から言われていることなどを伝えました。また、党本部に取り組んでもらいたいことを要望しました。私はこれまで議員経験があり、他の議員の皆様や行政関係者、企業関係者との付き合い方を知っているので孤立感はないのですが、政治経験のない新人支部長の場合、孤立する、あるいは孤立感をもってしまうことがあるようです。定期的にこうした場を持っていただければ、皆さん安心して取り組めるのではないかと思いました。

帰りに、久しぶりに平安神宮によりました。神頼み、ということで、お参りをし、引越しの関係で古いお札をたくさん持っていたので、納めてきました。そうしたら、茅の輪(ちのわ)が出ていたので、説明書きにしたがって茅の輪くぐりをしてきました。いままでにたまった穢れがはらわれたことと思います。

今日のヒアリングで、党本部のほうから、7月解散、9月初頭選挙が想定されるので、準備を急ぐように!との支持をいただきましたが、世の中はまだ解散風が吹いていませんね。それどころか・・・もう政局中心、というより、政局しかやらない、何も政策をやらない、外交もやらない、国民の温度や痛みをわかろうともしない政治全体に対し、あきれてしまって、あきらめてしまっているようにすら感じます。

これは、一番危ない傾向だと思っています。国も、会社も同じですが、気力をなくしたり、あきれてしまったり、あきらめてしまったら、衰退しかありません。このマインドをどうやって上向きに変えてゆくかということが、会社では経営者の腕の見せ所、国では政治家の腕の見せ所です。

今度の選挙は、有権者の皆さんは人物をよく見てくると思っています。果たして、この人物が今後10年から20年、政治を託すに足る人物かどうか。地震など、日本が危機を迎えたときに、動じずに冷静に対応できるかどうか。外国からのさまざまな要求に対し、強く国益を守りながら、アジアのリーダーシップを発揮するような交渉力があるかどうか・・・。

私もまだまだ未熟ですが、多くの方々から人物として任せられる、と評価してもらえるよう、努力を重ねたいと思っています。

明日から週末です。活発に活動を展開してまいります。

2012.06.17 (日)

拉致問題を風化させるな

今日、滋賀県での第一声を行ったのですが・・・あいにく、晴れて(笑)しまい・・・前の日に大雨土砂降りの中での街頭演説をイメージして寝たので、拍子抜けでした。

党本部から言われたお題が「拉致問題」なのですが、これはまさに国政を挙げて取り組まなければならない課題だけに、地方議員さんたちは苦手そうでした。そのぶん、原発問題や道路整備問題を話をしておられましたが、これは職責のうえで致し方ない部分だと思います。

私はたまたま、というか、浜松の支援者に恵まれて、浜松ブルーリボンの会の設立当初からのメンバーですので、皆さんが苦手な分、拉致問題をしっかり演説してきました。

民主党政権になってから、外交は総崩れ状態です。民主党政権になってからすぐに発生したのが、トヨタ車が暴走するとしてアメリカ議会に徹底的に攻撃される事件でした。

これは結果として全くのシロだったわけですが、この時に民主党の閣僚は誰ひとりアメリカに乗り込みませんでした。労働組合に選挙をやってもらっておきながら、誰ひとり日本が誇る有力企業を守ろうとしなかった。これはまったく許せない事です。労働組合の人たちも、国益も守らないし、世話になった企業にも恩返ししない姿勢に、いったいどのように感じたのでしょうか?

尖閣諸島沖の漁船衝突事件で、中国の顔色をうかがって犯罪者である船長を丁重にお送りしたのは、皆様の記憶にあると思います。

北朝鮮の顔色をうかがい、アメリカの顔色をうかがい、中国の顔色をうかがい・・・民主党政権はほんとうに日本人による政権なのか、疑わしく思います。

マニフェストがどうのこうのと言う以前に、私はこの手の国家観や、議員が国民や国内企業を守ろうとしない姿勢は、いまの民主党の最も許せない部分です。私は、自分の身を顧みずに、国民や国内企業を守るために行動できる議員になりたいと、今日本当に強く決心しました。

拉致問題・・・語ると深いこの問題は、国会議員になる上での姿勢や矜持が問われる問題だと思います。

2012.06.16 (土)

選挙の相棒

今日は、私の選挙の相棒の整備です。

こいつは15万キロも走っているのですが、エンジンも好調で、まだまだいけそうです。軽の街宣車は、運転しやすいし、細い路地にも奥まで入り込んでしっかりと政策を伝えてくれるので、ずっと重宝してきました。
駅や交差点のちょっとした隙間に駐車できるので、交通の邪魔にもなりませんし。

また、ワイヤレスマイク2本、有線マイク2本装備で、MP3で録音した声を流すこともできます。電光看板もついています。中身はでっかい選挙カーと同じです。

選挙をやっていて思うのは、いくら一生懸命やっていても、ちょっとしたことで自動車あるいは歩行者の邪魔をすると、逆に嫌われてしまって、それならやらないほうがましってことです。まさに、「及ばざるは、過ぎたるより優れり」ですね。

でも・・・いろんな陣営の選挙を手伝っていると・・・そんなことは分かっているのに、熱くなってしまって自分たちを客観視できなくなってしまって、勢いに任せてやってしまう・・・と言う人を、これまで何度注意したことかわかりません。

政治活動は、いつも自分たちを客観視する余裕が必要ですね。これは、リーダーシップを発揮すべき立場の人みんなに言える事ですが。逆に言うと、常に客観視できる余裕がない人は、リーダー失格です。

しっかり整備してもらって、大津・高島の皆さんにも可愛がってもらおうと思っています。
看板も、シンプルなんだけど、見やすくてよくできました。

2012.06.05 (火)

最後の県政報告会

6月に入りましたが、気温・天候ともに不安定と言うか、大きく変動していますね。こういうときには、普段以上に体調管理が必要です。

さて、明日6月6日(水)、午後6時30分から私の最後の県政報告会を開きます。
場所はグランドホテル鶴の間です。

もう少し早く、ブログやHPで告知しなければならなかったのですが・・・うかつにもケーブルテレビを解約したらインターネットまで使えなくなりまして・・・しばらくネットなし生活でした。

県議会議員としての残務整理、やりかけた仕事に目途をつけることに追われながら、多くの皆様から送別会をしていただきました。本当に感謝しています。

仕事にほぼ区切りがつきましたので、明日の県政報告会を終えて、明後日6月7日には県議を辞し、国政を立て直すための仕事に専念したいと思っています。

いま、まさに国難です。私たちのような若い世代の政治家が、どれだけ捨て身で動けるかが問われていると思っています。

振り返ると、平成11年に27歳という若さで初めて当選させていただきました。以来、議員として、政治家として育てていただいた浜松の皆様に報いる意味でも、ここで勝負できなければ、若いうちから政治の世界に入れていただいた値打ちがないと思っています。国の一大事に際し、行動できてこそ、これまで議席をいただいてきた価値があるのではないか、そう考えています。

これからも、志を持ち続けて頑張りますので、ぜひ引き続きご支援ください。
よろしくお願い申し上げます。

ページのトップへ